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明治製菓さまへ「カール特別復活祭」の提案。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:ノスタルジーというゲンダイ人が求めてやまない欲求をマーケティングに使えるじゃないかという気づき。ファンがついた企業、製品、サービスを捨てることは、改めて暴挙だという理解。トップ画はhttps://style.nikkei.com/article/DGXBZO16713400Q0A021C1000000/

ノスタルジーというマーケティングの軸

きのう、はからずも国際プロレスなつかしい、もっと観戦に行けば潰さずに済んだのに、という反省と後悔を皆さんにぶつけてしまいました。

ちょっとひらめいたのですが、ノスタルジーは使えるよな、と。この連載でもそのようなことを言ってきました。

特に国際プロレスで思ったことは、ノスタルジー(郷愁、思い出、懐かしさ)というのは、現状に満足できない時に強烈に襲ってくる感情なのではないかということです。

そして、ファンだった人たちにとっては、裏切りの感情、理不尽の感情、孤独感なども襲ってくることがわかりました。

国際プロレスを見放して、裏切ったのは僕にほかならないのに、なくしたものの大きさは、失って初めてわかるなんて、ワガママが過ぎますよね。

カールとチョコフレークの罪状

「国際プロレスなんて知らないから、そんなノスタルジーわかんねえよ!」

そうですよね、でも、このお菓子なら共感してもらえるかも。

カール

https://qr.quel.jp/pv.php?b=https://amzn.to/3L2tfhS

チーズ味もカレー味もスキでした。

発売中止の報を聞いてあわててスーパーに駆けつけたくらいの、生ぬるいファンだったくせに、「カール・ロス(略してカルロス、はどう?)」に苛まれています。

カールに類似品ミートゥ製品がないことも、ロスの憂いを深めている原因です。

森永チョコフレーク

https://retrox.biz/archives/19917343.html

これもなくなるよ、と言われてダッシュで買い込んだ程度の、別れを切り出されて慌てて愛がよみがえってきたくらいの、ニセ信者です。

ある日近くのサミット(スーパー)で、発見。でもぬか喜びでした。日清なんとかのチョコフレークだったのです。案の定、「やっぱり違う」。

カールも森永チョコフレークも、中途半端な愛を棚上げして、先ほどの3つの感情に苦しめられています。

1.裏切りの感情。永遠に続くと思ってるから、たまに買わなかっただけじゃないか。それなのに、何も言わずいきなり離婚かよ。

2.理不尽の感情。カールも森永チョコフレークも、代替物があるようでいて、ない。カール欲、チョコフレーク欲という欲望を勝手に作っておいて、勝手に消えるのは理不尽。

3.孤独感。好きな人に去られて一人ぼっち。秋風がしみます。

ワン・トゥ・ワン・マーケティングの教え

明治製菓は、森永乳業は顧客ファンのこの怨嗟の声が聞こえないのでしょうか。

聞こえないんです。

経営学的には、ここが問題なんですよ。

国際プロレスのファンであればあるほど、大声で「青春を返せ~」とか言いませんし、SNSでリツィートを増やそうとなどしません。

ただ内にこもり、嘆き、悲しみ、よい思い出にひたるだけです。

企業としては、「採算とれない路線は、廃線にするしかないだろ」という、あくまでビジネスさ、と平気でしょうが、列車を利用していた近隣住民の喪失感は、ノスタルジーを中心に複合的な怒りの感情がうずまきます。

https://www.walkerplus.com/trend/matome/article/171730/

マーケティング理論的にも、廃ブランドは合理的じゃありません。

80年代前期に登場したワン・トゥ・ワン・マーケティングは、結局一つのことしか言ってないんです。

それは、
「新規顧客をゲットするよりも、既存顧客を大事にするほうがずっと儲かる」、ということなんです。

ブランドをなくすことは、これまで長年苦労に苦労を重ねて、獲得してきた顧客をみずから手放すことです。

おまけに、密かにさっき言った、マイナスの感情すら持たれる。

カール復活祭をやれ

いまから企業はどうすべきか

ノスタルジーにふけり、時に恨みをぶつけられる。

愛憎(ラブ・ヘイトレッドlove hatred) とはよく言ったもので、愛と憎しみは表裏一体です。

でも、まだ、ファンの愛はそこにあります。

不定期で臨時復活祭をやるしかありません。

カール特別復活祭と銘打って、スナックがことのほか美味しい10月のひと月を「復活月間」としてネット販売するのです。

チャットルームを開き、ノスタルジーをファンに思う存分ぶつけてもらう中で、新製品のヒントも浮かぼうというものです。

何よりも、一回愛してくれたファンを一生忘れないという企業の姿勢が、伝わることは間違いありません。

仮に採算がとれずに、ブランドをたたむ一択しかなくなっても、この世からかつて一度でも愛されたなら、「残す」べきです。

また明日この続きをお話したいと思います。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

では、また明日お目にかかるのを楽しみにしています。
 
                             野呂 一郎
                清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー





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