恋愛時計 第18話 涅音と奏
第18話 涅音と奏
8月の終わり、祥子は麻布十番の演奏会に来ていた。今回も奏の演奏に何度も貫かれ、彼の腕に抱かれたらどうなるんだろうという気持ちの高まりを感じていた。
でも今日は何も話さずに帰るつもりだった。なぜならセラピストとしての涅音と会った直後ということもあり、何を話せばいいのか、どういう顔でいればいいのかわからなかったのだ。
帰ろうと出口に向かっているとき、呼び止められた。
「祥子さん!」
(えっ!!)
(奏?ど、どうして?)
「あ、あの、こんばんは・・・。あの、今日の演奏も素敵でした」
「ありがとうございます。実はこの前代官山でお会いしたとき、気付いてたんですよ」
(嘘でしょ、気付いてない振りをしてたの?)
「ごめんなさい、迷惑ですよね・・・」
「いえ、嬉しいですよ。最初お顔を拝見した時はビックリしましたけど、こうやってまた聴きに来てくれて嬉しいです」
「だってバレたんですよ?私がばらしたらどうするんですか?」
「祥子さんはそんな人ではないって思ってますし、覚悟はありますから」
(なんて人。今、どっちなの?奏?涅音?)
「奏さんの演奏が痛いぐらいに刺さるんです」
「嬉しいです、僕も大好きなギタリストの演奏が刺さって、それからずっと追いかけてるんです」
「SHINさん・・・ですか?」
「そうです!何でわかったんですか!」
「YouTubeの説明に書いてありました。私もSWEET ANGERのライブによく行っていて、SHINさんの演奏にいつも刺されてましたから」
指でピストルを作り、胸に当てながら少しはにかんだ笑顔を見せた。
「そうだったんですね!僕はリアルタイムではないですけど、母が好きで小さい頃からよく耳にしてたんです。感性が同じ方と出会えて嬉しいです。また遊びに来てくださいね」
「はい、絶対来ます」
もちろんハグはないしお見送りもない。今は奏だったんだと思った。だからまた来て欲しいのは女風ではなくて演奏会なんだと理解した。
涅音の時と比べて人気はない。同じ人なのになぜこんなにも違うのか、ここでも悔しかった。そしてセラピスト涅音の行き届いた優しさとギタリスト奏の溢れんばかりの才能が同一人物の中にあることに不思議な感覚を覚えた。
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