隠キャ ミーツ 陽キャ

 最近のマンガではボーイ ミーツ ガールが隠キャ ミーツ 陽キャに置換される傾向がある。このトレンドの代表は『僕の心のヤバイやつ』だろうが、最近のヒット作としては『ぼっち・ざ・ろっく』もそのような作品に分類できるだろう。* 恋愛要素がなくても、主人公と、主人公にとっての「他者」がいさえすれば、物語は回っていく。『僕の心のヤバイやつ』は隠キャの少年と陽キャの少女のボーイ ミーツ ガールだが、主要キャラどうしの違いが十分際立ってさえいれば、相手が異性であることは必須ではないし、『ぼっち・ざ・ろっく』における「音楽」のような、物語を回していくための「軸」さえあれば、恋愛もなくて構わないかったわけだ。

 とはいえ、なぜ近年になって殊更、隠キャ ミーツ 陽キャのマンガが相次いでヒットしているのかは、やはり社会的な面からの考察が必要な気がする。色々考えられそうだが、従来のようにジェンダーによってキャラクターをステレオタイプ化することが、若い作り手や読者の感性に合わなくなってきているというのはありそうだ。Z世代にとって、少年と少女が出会えば恋が生まれるというのは決して当たり前のことではないのかもしれないし、ジェンダーの違いは教室内の陽キャ/隠キャの区別ほどには決定的なものではないのかもしれない。

 その意味ではボーイ ミーツ ガールから隠キャ ミーツ 陽キャへの移行は、ポップカルチャーをジェンダー・ステレオタイプや、異性愛規範から解放する作用があるといって良さそうだが、その一方で、陽キャ/隠キャという二項対立的なステレオタイプを再生産している面があることも確かだろう。いうまでもなく、陽キャ/隠キャという区別は価値自由的な「分類」ではなく、陽キャのほうが隠キャよりも好ましいという価値づけを含んでいるわけで、そこに問題がないとはいえない。隠キャ ミーツ 陽キャは異性愛やジェンダー役割に馴染めない若い人たちにとって救いとなるのかもしれないが、人付き合いになやむ若い人たちを「隠キャ」というカテゴリーの閉じ込める罠としても機能し得る。

*『ぼっち・ざ・ろっく』は、陽キャと隠キャという単純な二分法ではなく、4人のバンドメンバーのなかでガチの隠キャからガチの陽キャに至るグラデーションが出来上がっていて、その微妙な温度差が面白い作品だと思う。

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