「怒られが発生した」という表現について(2020-3-11)

「怒られが発生した」という表現がある。何が元ネタかは僕にはよくわからない。多分日本語としては間違っているけど、「怒られが発生」でTwitter検索をかけると無数のツイートがヒットしたので、確実に人口に膾炙している表現ではある。

怒られが発生した、という表現にはある前提が内包されている。それは「人間は特に理由もなく怒る生き物である」というものだ。人間はこれといった理由がなくても怒ることがあるし、それを防ぐことはできない。また、仮に怒り始めた時は明確に原因があっても、怒っているうちにだんだん当初の原因のことなどどうでもよくなってしまうことも多い。しかし、こうした場合もたいていの人間は怒るのをやめないのである。

例えば、AさんがBさんとの待ち合わせに遅刻したとする。Bさんはそれに対して怒り、Aさんは謝った。しかし、Bさんは構わず怒り続ける。これにはAさんも我慢ならず「ほんの少し遅れただけじゃないか」と言い返す。Bさんは「少しとは何だ、遅れておいて、ふざけるな」とさらに怒る。こうなってしまえば、Aさんの遅刻などどうでもよい。Bさんは過去のAさんの言動について、「あの時のこれこれは実は気に食わなかった」などと言い出すし、Aさんも「そんなことを言うならお前だって」と言い始める。

今ここで挙げた例は二人の関係が対等な場合だが、上下関係がある場合についても同じようなことが成り立つと思う。ただしその場合、怒りは上から下からの一方通行であることが多い。

人間の怒りというのは昔から炎に喩えられることが多いが、怒りと炎は確かに似たような性質を持っている面があると思う。対人関係において、人は誰しも怒りの燃料のようなものを蓄積している。それがあるきっかけで発火すると、発火の原因に関係なく燃え続ける。過去の気に食わなかった出来事が燃料として次から次からへと運び込まれるからだ。それは何らかの邪魔が入るか、燃料が燃え尽きるまで続く。

炎の場合一度燃焼した燃料というのは発火することはないが、質の悪いことに、怒りの場合燃料は何度でもリサイクル可能である。人は永遠に同じことで怒ることができる。もし人間の怒りを電力に変換することができれば、エネルギー問題は即時解決だろう。

要するに、人間は一度怒り始めたら何かにつけてほとんど関係のない過去の出来事についても怒るし、人間は同じことについて永遠に怒ることができるということである。人間の怒りというのはほとんど天災と同じだ。怒られが発生してしまった場合、われわれは怒りの烈火が去るのをじっと待つほかないのである。

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