アトミック・シンキングの話

今朝『 アトミック・シンキング 』を読み終えて、関連する Podcast を聴いたり、ブログなどで他の人の感想を軽く読んだりもしているのですが、

特に『 うちあわせCast 』では、さらに上の視点からアトミックというものについて語られていて、それについても自分なりにまとめた記事を書きたくなってしまいました。

リニア型とグラフ型の、書いて考える手法の違い、異なる情報粒度の扱い、文脈から切り離すことでこそ理解が深まる可能性についてなどなど。

ただ、あまり詰め込みすぎても収拾がつかなくなるので、今回は「 アトミック・シンキング 」の話をメインに考えていきたいと思います。

昨日は、第1部だけを読んで、そこから考えさせられたことについてなんとなく記事にして、もっと考えがまとまってきたらまた何か書こうと思う、というようなことを言っていましたが、

さらに「 アトミック・シンキング 」についての考えを深めるためにも、今からここでその考えをまとめる作業を行なっていきたいと思います。

どういうことかというと、簡単に言えば、前回の記事をアトミックに分解することで、分かりやすくなるのかどうか、内容についても理解を深められるのかどうか、検討してみようというわけですね。

本来なら、前回の記事を書く際に、いきなり note を開くのではなく、ちゃんとフリーライティングから始めて「 アウトライン・プロセッシング 」していれば、こんな遠回りをする必要はなかったのではないかという気もしますが、まぁ、結果オーライということで。

アトミックに読書メモを取る作業を、わざわざ擬似的に再現していると思ってもらえるといいのかもしれません。

それによって、かえって話がややこしくなっていると感じられる方もいそうですが、そこも、まぁ、ご愛嬌ということで。

ともかく、前回の記事のようなものが、まさにアトミックではないコンテンツの一種であり、

さらに言えば、おそらく書いた本人ですら完全には理解が及んでいないものを多分に含んでいそうですし、書ききれていないことも数多く残されていることでしょう。

それを整理し直すためには、まず分解する必要があります。

とは言え、全てのアトミックな要素を書き出すと大変なことになるので、ここでは少しトピックを意識して絞ってみることにしましょうか。

そうすると、必然的に、以下のようにもう整理された形にできますね。

  • 日記と読書メモの共通点

    • 日記であれ、読書メモであれ、何かを書くなら、頭の中のものを言語化するという過程は、常に最初にあって然るべきである。

    • 日記は、その内容を事実と解釈とに区別することの訓練になる。

    • 読書メモは、自分の言葉で内容を要約し、誰かに伝える訓練になる。

    • 未来の自分も他人と同等の読者とみなして、可能な限り後から読んで分かりやすいように書いておくべきである。

    • 日記でも、誰かに伝える文章を書く練習をすることはできる。

    • 読書メモでも、本の内容のうち事実と著者の解釈とを分け、さらに自分の考えを書く練習もできる。

  • 日記と読書メモの相違点

    • 日記は、自分の生活を題材とした文章である。

    • 読書メモは、読んだ本の内容を題材とした文章である。

    • 日記における自分の言葉とは、自分の思考や生活から出てきた事柄について直接的に書くものである。

    • 読書メモにおける自分の言葉とは、他人の思考や研究に基づいた文章を自分の中に取り入れて間接的に書くものである。

    • 日記は、自分のことについて書けばよく、形式も非常に分かりやすいため、書くのことの練習としては、初心者にもうってつけである。

    • 読書メモは、他人の書いた文章を元にするため、まず自分の言葉に変換しなければならない、しっかりと翻訳しないと意味がないという点が、少し上級者向けかもしれない。

    • 読書メモのように、他人の書いた文章などを、自分の言葉に変換して説明することは、翻訳スキルの向上を促す。

    • 自分の思考を含む読書メモの場合、書いてある事実と著者の解釈、自分の思考という、三つを分けて考えなければならないこともある。

    • 他人や未来の自分が読んで分かりやすいように書くと言っても、おそらく大抵の場合、日記より読書メモの方が、本の内容を深く理解していないといけない分、そのハードルは遥かに高い。

  • 日記と読書メモの中間点?

    • 本の内容をまとめるのではなく、自分なりに考えたことをメインに書くのは、日記と、単に内容をまとめただけの読書メモとの中間に当たるようなものである。

    • ちゃんと内容についてまとめた後で、自分の考えを書く、という手順を踏んだ方が良い。

ここで重要なのは、それぞれの要素について、本当にそれは正しいのか?と問い直し、その根拠や説明を各ノートの本文に書いておくことだと思うのですが、さすがにこの記事では省略します。

ただ、もし自分で納得のいく文章が書けないのだとしたら、そこが疎かになっている可能性が高い、ということですね。

自分で書いた文章なんだから当たり前にその意義を理解していると思ったら大間違いで、アトミックなノートを作ってみれば、自分の言葉で本文を記述しようとした時に、その理解度が浮き彫りになってくることでしょう。

また、ノート同士の関連性を考えたり、上述のようになんらかのトピックごとにノートを分類したりすることによって、各ノートの潜在的な価値が明らかとなったり、なんとなく足りない気がするノートの存在というものにも気付くことができるかもしれません。

例えば、今回、改めて整理してみて考えてみたいと思ったのは、実際に記事を書いていた時にはあまり熟慮が足りていなかった、日記と読書メモの中間に当たるようなものの存在についてです。

二つのものの中間に位置付けられるものについて考えることは、その二つのものに対する理解をも深めてくれます。

これは、複数のノートの関係性を考える際にも言えることだと思いますが、それはともかくとして、

今回の場合、具体的には、それは、感想と批評の違いとも言えるかもしれませんね。

つまり、日記と読書メモとの間に位置するのは、本を読んだ感想であり、

本の内容を真に理解した上で、すなわち、ちゃんとした読書メモを書いたその先に書けるのが、批評というわけです。

自分の身の回りの出来事と、その感想を書くのが日記なら、その次には、身の回り以外のこと、例えば、本を読んだりして感じたことについて、自由に感想を書くという行為があり、

本などに書いてあった内容を整理し、自分の言葉で書き記すことで理解を深めるのが読書メモの役割で、それを受けて自分の考えをも発展させていくのが、批評やそのさらに先にある自分の執筆、ということになるでしょうか。

こう考えると、個人的には、かなり整理されてきた気がします。

そして、こういった思考は、とにかく書いて、分解して、整理して、その上で考えていった方が、よりいっそう湧いて出てきやすいでしょう。

本を読んだ時点では、まさかここまで思考が発展してくるなんて、もちろん想像もしていませんでしたからね。

そのような思考習慣を、こんな遠回りをせずに、初めから目指すのが、アトミック・シンキングだと言えるのかもしれません。

まぁ、今回の場合、ちゃんと読書メモを書いていたわけではなくて、いきなり note に記事を書いているという点がちょっと特殊なのですが、

しかし、面白い本を読んだ後とかだと、そのままのテンションで勢いだけで記事を書いちゃったりすることって、結構ありませんか?

そういう時には、後からアトミック・ノートを作るというのもいいのではないかという、これは、そういう話でもありました。

当然、自分で書いた文章のため、難易度的に、他人の書いた文章を自分の言葉に翻訳しつつアトミックにするより簡単なので、もしかすると、書くことの練習としても有用だったりするかもしれません。

これ、アトミック・シンキング入門として、個人的には割と良いような気もしたのですが、一番のネックは、まず勢いだけでブログ記事が書けないといけないという点ですね。

さて、ここまで、アトミック・シンキングの話をすると言いつつ、本書『 アトミック・シンキング 』の内容とは、方向性がかなり違うというか、多少なりともニュアンスも異なるようなことを書いてきてしまったので、

正確なところは、自分で読んで確認していただきたいのですが、

無理やりまとめるとするなら、なんにせよ、アトミック・ノートを作って、それらをこねくり回すことこそが理解を深め、知識となっていくので、

何かを考えるためにはまず知識が必要である、それも、真に理解できている知識である必要があると思うのであれば、

この本を読んでアトミック・シンキングについて学び、一緒に実践していきましょう、と言ったところでしょうか。

ただ、個人的には、アトミック・シンキングというもの自体についても、こうして勝手にこねくり回している真っ最中なわけですが、あしからず。

まだまだまだまだ、書ききれていないことや、色々と考えなければならないことが山のようにあって、全く実に楽しい限りですね!

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