見出し画像

喪失感とカップ麺

子供の頃からあるインスタント食品、カップめん。
手軽に買えるコンビニ弁当。

リハビリの夜学生の時に何年もこれを食べさせられて、
カップめんはまぁたまにはいいかというときがあるけれど、
コンビニ弁当はもう食べられない。吐き気がする。

夜の10時半くらいに授業が終わると、
熊本の田舎では牛丼屋、ラーメン屋くらいしか
開いている店がなかったのですよ。

昼間は仕事で買いに行く暇がない。
自炊をする体力は残っていない。
あまりヘビーなものは消化にしんどい。

まだ気力が残っている時には自炊ができたけど、
学生も後半になるとカリキュラムが詰んできて、
それどころではなくなってきてて。

外見を整えるどころじゃないし、
なんか食べれたら御の字。
その結果でカップめんなのですよね。

時期でいうところの90年代後半。
街では安室奈美恵や、TRFなんかの音楽が
流れていて、ブラックビスケッツが流行っていた。

人生の中でなんとかやりとげるまで頑張るぞ、
と頭が割れるまで知識を詰め込んだ時期。
正直・・・世間を恨んでました。

時期にして5年間。
すごく勉強したけど、身体は悪くなった気がする。
頭もよくなった気がしない。

そんな頑張ったリハビリの学校も少子化の影響で
もう今は存在しない(閉校)。
グーグルマップで見ると、建物もなく、
併設されていた病院の病棟がたっていました。

10年くらい前に同窓会が一度だけありました。
その時行ったのですが、もう行くことないだろうな、
みんな変わってるしな、話も合わなくなってるしな、
と熊本からのバスの中で
正直、寂しい気持ちになりました。

この間の熊本地震で古い建物は全部倒壊したようで、
周囲は空き地だらけになっていました。

そうなってしまうと、もう行くこともないでしょうし、
思い出だけが自分に残るのでしょう。
全く写真を撮ってなかったのが悔やまれます。
写真を撮る余裕なんか無かった記憶もあります。

今年の石川県の地震の時、TVに撮影されていた場面。
倒壊した建物の前で泣いている女の人がいました。
親御さんがなくなられていた。

親のなくなったことの悲しみ、育ってきた記憶や
思い出が壊された、そしてそれはもう元には戻らないという
喪失感、その姿を見てもらい泣きしそうになりました。

ただ不思議なこともあって、失われたものには、
なにか別のものが自然と埋め合わせをするようになるのも、
人間の心のはたらきでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?