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【天使と悪魔の元ネタ?】釈迦が思想を形成するまで

当時のインドはまるで、

古代ギリシャと似ている。
というのはよく言われることである。

一般に哲学は古代ギリシャで始まったとされる。我らがウィキにも、

「哲学」は英語で「フィロソフィー」といい、語源は古典ギリシア語の「フィロソフィア」に由来する。
「哲学」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2005年8月22日15時(日本時間)現在での最新版を取得。

とある。これはよく知られたことだ。ソクラテスとかアリストテレスとか。

哲学がなされるまでの流れといえば、、、

〈当時、エジプトやバビロニア、アッシリアなど地中海の東から南にかかったチグリス川ユーフラテス川、そしてナイル川を中心とした古代文明やその文化は衰退期であった。あるいはミュケナイ文化の消失。そこらに広がって住み始めたのが、ギリシャ商業人や海賊だった。彼らはその二種の強みを持って植民都市を築いていった。これらは人口増加に対応するため見出した自然な成り行きのように見える。

その植民都市において哲学が始まったのである。その精神的動機はとくに階級闘争であった。哲学することは、階級差別から人々を解放する手立てだった。哲学発祥地であるミレトスでも多数派の民衆と少数派の貴族との間で激しい対立があった。〉(ギュンター・シュルテ『絵で見る哲学の歴史』より要約)

階級や差別などの社会構造、文化などは神話とともに育つ。
【社会構造・文化】と【神話(物語)】というのはまるで【肉体】と【精神】のように相呼応する。

神話は世界を幻想と同時に見る行為であった。
それとは別の運動が哲学である。人類同権をさけび、巨岩を神の投げる道具と見ずに、その岩の成分や存在について考察するのが哲学である。死後の世界を妄想するのでなく、「死」そのものについて語るのである。

一方その頃、インドでは。

全く同時代、つまり紀元前六世紀ごろのインドにおいても似たような運動があった。インド哲学の勃興である。その理由はやはり都市の繁栄であった。その都市の繁栄も貿易人によってもたらされたところが大きい。

インドにおける神話は、バラモン教によるヴァルナという身分制度を生み出した。いわゆるカーストである。


哲学はそれに抗った。国民の多くが農村に住む時代から、都市に住む時代へ移行し、市民生活がその代表的な生き方になる。ということはつまり、身分制度で規定された仕組み通りの生活ではなくなる。
どういうこと↓
インドにおいてはバラモンという祭祀が一番上とされる。けれど都市の発展によりその都市を治める王族や大富豪などの方が実際的な力を持つようになるのだ。

そこに自由思想家たちがやはり現れるのである! 自由思想家たちは沙門と呼ばれ、それぞれの真理を語り、思想を広めた。
その代表例とされるのが六師外道と呼ばれる六人である。ここでいう「外道」というのは「仏教以外の道」という仏教徒目線での「外道」であって、「道を外れた荒くれ者」というわけではないのが残念だが、彼らはどれもこれまでの伝統にはなかった新しい思想を打ち立てた。

(万物は四つの元素で構成されている、善や悪などは存在しない、輪廻などないあるのは物質のみ、など)

その後になって登場し、インドで大スターとなったのが、何を隠そう、我らが釈迦【ゴータマ・シッダールタ】である!
彼もまた死後の世界を否定し、輪廻に対して懐疑的であったといえよう。そして何より彼はカーストを否定した。人間は人間でしかなく、生まれもっての身分の上下はないと説いて回ったのである。

(ギリシャとインドの違いは、インドの国民は宗教が好き、苦行を好むというところにある。だからそうやって出た沙門の思想は宗教として整えられてゆく。ギリシャ哲学で尊ばれたダイモンがデーモンとされた西洋とは真逆に)

ゴータマの出生、出家、悟り

ここではいわゆるお釈迦さまのことを、ゴータマと呼ぶことにする。

ゴータマはシャカ族の王子として生まれる。

王子というだけあって、父親は王様である。けれど、普通想像するような強大な権力を持った王ではない。イメージとしては族長の方が正しい。一部族を治めるその地域の王なのである。

というのも先述を補足すると、当時のインドでは都市が乱立した。大小様々な都市ができあがっていた。その中の誰も知らないような小さな辺境の地の王族の子がゴータマであった。

彼はカピラヴァッツという北東、現在ではネパールのタライ地方のあるところに生まれた。ヒマラヤ山脈を遠く眺める盆地で、山からは雪解けが流れとなって土地を潤し、その川の西側にシャカ族はいた。ちなみにゴータマの母はその東側に住むコーリヤ族出身で、このコーリヤ族とシャカ族はというのは胞族、つまり親族のような関係で結婚相手はその相手側から探すのが一般的であったようだ。

誰も知らないという表現はほとんど正しくて、この氏族はゴータマの出身であるということ以外知られていない。当時の政治情勢を示す語として「十六大国」という言葉があるが、ここにもシャカ族の地は名前に上がっていない。当時にしてもそれほど知られた地ではなかったのである。

でも、小さいといえど王族の子であって、身分としてはバラモンの次に高いクシャトリヤである。
ゴータマはその地で何不自由ない生活を送っている。
16歳で結婚し、子どももできる。しかし彼は全ての人間の生活がそのような楽に過ごせるようなものでないことに気がついたらしい、29歳で出家し、そこから苦行に専念するのであった。(当時の知られた沙門に話を聞きに行ったりもしたそうだ)

苦行の末にたどり着いた答え、それは、
「苦しいだけの修行に、意味などない」
ということで、6年続いた修行を彼は中断し、山を降りた。

裸かの行も、髷に結うのも、身が泥にまみれるのも、断食も、露地に臥すのも、塵や泥を身に塗るのも、蹲って動かないのも、——疑いを離れていない人を浄めることはできない。(『真理のことば』141 中村元訳)

この判断に一緒に修行をしていた仲間からは「堕落した」と判断され、いくぶん罵られたらしい。
けれどゴータマは気にしなかった。
山を降りた彼はセーナー村でスジャーターという村娘から乳粥を恵んでもらい、健康を取り戻す。それから菩提樹の下で、瞑想することに修行を切り替え、三週間して悟りをひらき【ブッダ】となる。彼は全ての生の苦しみから逃れる思想を発見したのだった。

ゴータマの悟ったこと

出発点は「この世にはたくさんの苦しみがある。」ということであった。目的は「苦しみから逃れること。」そして彼が見つけたその方法というのが「執着をなくす。」というものであった。
そしてゴータマは「この世界が〈縁起〉でできている。」つまり全ての現象には原因があることを発見した。

天使と悪魔

悟りを開いたゴータマは孤独感を覚える。彼の思想は独自のもので、誰も共有する者がないのは明らかだった。「できることなら同じ考えを持つものと話したい、彼の弟子になりたい」とさえ考えた。

しかし続く瞑想の中で、新しい思いつきに気がつく。

「わたしは、むしろ、わたしの悟った法、この法こそを尊重し、親しみ近づいて住すべきではないか」

つまり、誰かの弟子になって生きるのではなく、彼の思いついた法(ゴータマ自身の思想)にしたがって生きる方がよい。
すると、なんと空から梵天がゴータマの心中を知り降りてきて、ゴータマの前に合唱礼拝して言うのだった。

「世尊よ、そのとおりである。世尊よ、過去の正覚者模倣を尊重し、法に親近して住した。未来の正覚者もまた然るであろう。いま正覚者としてまします世尊もまた、法をこそ尊重し、法に親近して住されるがよい」

それによってゴータマは再び考えることとなった。
「ならばわたし自身が法を理解し実践することだ。そしてその法をもって人々の中へ分け入り、広めるべきだ。それによってゴータマは孤独でなくなり、正しく存在することができる」

しかし、そんな彼の元に今度は悪魔がやってくる。
ゴータマの「しかし、本当に他人に広めていく意味があるだろうか」という疑問による彼自身の躊躇につけ入るのだ。

「苦労してやっと悟りえたものを、なぜまた人に説かねばならぬか。貪りと怒りに焼かるる人々に、この法を悟ることは容易であるまい。
これは世の常の流れに逆らい、微妙にして難解なれば、欲貪に汚され、闇に覆われし者には、見ることを得ないであろう」

それに対し次は梵天が、

「世尊よ、法を説きたまえ。善逝よ、法を説きたまえ。この世間にはなお目を塵に覆われることの少ない人々もある。だが、彼らもまた法を説くことを得なければ堕ちてゆくであろう。もし法を聞くことを得れば悟りうるであろう」

その言葉によってゴータマは自分の思想を世間へと広める決心がついたのであった。

梵天説話(相応部経典、六、一−二)
悪魔説話(相応部経典、四、二四「七年」)

いかがでしたろう。初期の仏教教典にいくらか描かれるこのシーン。
天使ではなく梵天というインドの神様が出てくる、というのはイメージとの違いはあったけれど、現在よくみる天使と悪魔との心の中での対決のハシリと言えるのではないだろうか。
仏教説話(しかも初期の一群)なので、少なくとも2000年くらい昔からある。
クリストファー・マーロウの『フォースタス博士』という作品に天使と悪魔を使って主人公の心的葛藤を描くものがあるが、これが十六世紀でネットで見つけた限り一番古い。
アニメ漫画などでは1938年ディズニーの短編アニメ『ドナルドの腕白時代』でようやくなので、おそらく本当にこのゴータマがこの形式の元ネタではなかろうか。

ゴータマ説話が最古ではないかもしれない。
この悪魔が語ったり、梵天が降りてきて啓示を与えたり、というのはインド文献にわりと見られる。まだ今のように文学技法が確立していない時代の、主人公の心理描写として好んで用いられたようである。
だからゴータマのこの葛藤を伝えるのに使われた以前にもこの天使と悪魔形式が使われていた可能性はある。が、特別有名で、広める可能性を持っている文献というのは、初期仏教経典より相応しいものはないのではなかろうか。

さてさて

とまあ、流石にこの論は実際のところはどうかと思う。(タブンチガウトオモウ)
腰を入れて調べたわけでもない。このまま腰を入れずに、偶然見つけた時にだけ自由研究は発展する。研究というより、コレクションのようなものかもしれない。だからこの『天使と悪魔テンプレート』以外のテーマも色々と頭の中にあるが、それらにしても情報が、情報の方からこちらへ来てくれるまでは、わざわざ探しに行こうとも深めようとも思わない。

この『天使と悪魔テンプレート』についてのまとめとしては、事実はどうかわからない! である。
『新約聖書』にもこれほど明らかにではないが、有名な「誘惑を受ける」の章でキリストは悪魔とやりとりをする。ここにはそのまま悪魔が彼を誘惑するように書いてあるが、これもようは心の中の対話だろう。キリストが自己批判を一度したのだ。

このように『天使と悪魔テンプレート』は元ネタがそれとして見つからない種の話なのかもしれない。というのも、作話方法として便利で、一人の葛藤をイメージしやすくする、あるいは心理描写なしで描けるという点で思いつきやすく、もしかすると普遍的に様々な場所で作り出された形式なのかもしれない。

アニメで使われたり漫才で使われたりする、あのいわゆる場面、を求めることはできるかもしれないが、根源的にまで遡るのは難しいだろう、腰を入れない限りは。

にゃー