複雑性悲嘆の完了

ヨシタケシンスケさんの「もしものせかい」を読んだ時、「ああ、お父さんはもう戻ってこないんだ」と初めて気づいた。そして胸をえぐられるような痛みが走った。
身近な人でただ一人信頼していた父が突然他界(くも膜下出血)した高校時代を思い返すと時が止まったような感覚があったが、その感覚は痛みとともに去ってしまった。その痛みを感じないように30年弱も抱えていたことは痛みが去ったことで気付いた。

養老孟司さんは4才の時にお父さんを亡くし、本当にその死を受け止められたのは30代であったと「死の壁」に書いてあるが、同じようなことが自分に起こった。僕の場合は16才の時に亡くして、受け止めたのは40代。

その後の約1年間、「お父さんがいなくて寂しい。」
という感情が何度も押し寄せた。
「自分はこの世でたった1人になってしまったんだ」
と絶望的な孤独感が襲ってきた。
そもそも(本当の)悲しみを感じることなく時が過ぎていたから、(本当の)寂しさも感じることができなかったのだった。

実際の場面から感情を味わうまでに長い歳月が過ぎてしまった。
こういった長期にわたる悲嘆の剝奪された状態に「複雑性悲嘆」という言葉あるようだ。

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