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普通や常識にさようなら〜👋

みんながやってるからという世間体
どうしてみんなと同じようにしないの?っていう
同調圧力
うわぁ!
窮屈私はイヤです😌大嫌いでした😌
でも周りに合わせる努力をして来ました

子どもを守るためそうしないといけない時代だった
から頑張りました😉よく頑張って来たと思います✨

だからとても心身ともに疲れやすいでした
合わせるのに結構なエネルギーを使ってました
時々「充電期間」を作っては「ホントの魂の考え」に戻し、そして
また世間体に合わせる「七夕典子」として
世間に溶け込み、
また魂が疲れて「充電」しての繰り返し

よくやってきました
これからそうしなくてもいい時代になります✨

自分の心がオッケー🙆‍♀️ということに従って思う存分に楽しみ尽くします😉
私だけでなくみんな✨今、時代切替の過渡期

嫌でも切り替わります
見直されます
日々そういう流れになって行っています

・多く年を重ねた人が立派なのか?や
・りっぱな肩書きがホントにすごいのか?や
・成功者のそのマニュアルが成功なのか?や
・障害者就労支援って本当に支援なのか?や
・障害者カテゴリー分けが必要なのか?や
・絶対に正社員就職がその人のためなのか?や
・本当にワクチンは必要だったのか?や
・マスクは予防をしているのか?や
・フッ素って本当に虫歯予防になるのか?や
・健康診断を義務付ける必要があるのか?や
・病院は病気を治すところなのか?や
・献血ルームは本当に必要なのか?や
・学校教育評価は正しいのか?必要なのか?や
・歴史書は正しいのか?や
・そもそも人のルーツ、地球自体、現時点で世にある検索結果や辞書辞典は正しいのか?

などなど全部全部これまでの当たり前が
本当に本当に?
そうなの?なぜ?どうして?何のために?
誰のために?
まるで3歳児がこの世の不思議になんで?なんで?って聞きだす時期のように
今、大人が逆にそうする時期なんだと思います
長ーーーーい間、なんで?と思うことすら
徐々に忘れて、そういう考えになる暇さえ与えられず、せっせとせっせと時間に追われ働き疑問を持たないようになってしまっていたので
子どもたちの純粋な「なんで?」を大人がもつ必要があると思います

本当に本当の人のためになっていたのか?

土の時代の代表「利益物質主義」のためにありとあらゆる仕組みを作って、利益が発生する仕組みが見事に連携して合理性を求め過ぎた結果のしわ寄せとほころびがあちこちで現れ始めてきていると感じています

全部国に認められた仕組みが全部
公共事業から企業から一家庭から全部
そういう時代だった
そういう時代の中での恩恵で生活させてもらっていた事実があって感謝はしています✨
たくさんの気づきをもらえたので感謝はしています😌

だからこそです
だからこそ発信したくなります

亡くなる人は、その事が最期の最期に全部わかって
逝くんだと思いました
肉体を離れていく間際になって
もうどうしようも出来ない後悔の念や未練や感謝が、
残していく家族へ同じ繰り返しをするなよって
大きな大きな愛として
気づけ!気づけ!見直せ!見直せ!って
思うような現実を見せてきていたと感じました

母が自分はもうダメかもって時に私に言った言葉は
「病院にだけは連れて行かないで」でした

あんなに抗がん剤を反対した私を振り切って
先生の方を信じるって言っていたのにです

病院に行こうっていう私にイヤイヤって
子供のように、
初めて見る姿でした

父が頑として譲らなかったことも同じく
入院だけはしたくない!でした
28年も人工透析で1日おき通院でお世話になってきた
人生だったというのにです

当時、結局、同時期に重症化した2人を家で看る事が
困難と判断した私が、入院手続きしたのでした

どうしようもできない自分の無力さに湧き上がってくる悔しさを抑えきれず、泣きながら車を運転して帰りました

2人の意向に寄り添いたい、
けれど、
その心と時間と体力とお金の余裕が無いシングルマザーな私

最期の最期は勝手に動く筋肉で手足がバタつき、
たん吸引で喉をほじくられてる親
いろいろされてるのを、ただ見てることしか出来ない

モニターのピコーンピコーンという音を聞いて
消えていく波形に、終わったんだなぁって 

家に連れて帰ればよかった
でも出来ない、こんな医療対処

自分の親の最期になるかもしれない希望を叶えられなかった
そこだけ背負った感がありました
消えずにいました

これもちゃんと私への気づかせのための現実だったと理解しました
気づきましたよ✨ありがとう😊
感謝して手放します🙌

私は、あぁ楽しかった✨ありがとう😊
バイバイ👋って軽〜く去ると決めています

コレまでの常識を見直そうとしていた方達が、
日の目を浴びて目に留まる事が多くなると思います✨

出る杭を打つ人の力は弱まり
出る杭が他の杭も引っ張り上げる

多様性を認め合い得意を共有して共存する
調和の世界に生きること
それを体感して生きること
これこそが私のこの世に生まれてきた意味です

(2021/11/24 Facebook投稿内容)

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