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障害者支援から人類支援に

振り返るとシナリオ出来ていました。
今やっとわかったのです。
人生で起きた出来事のひとつひとつの意味が

◉現実

やっと吐き出せる
魂レベル視点で見たら、おかしいものはおかしい。
コロナはそれを大いに吐き出していいんだと
教えてくれました。

20歳
忘れもしません、ある出来事に巻き込まれて

本心を語ることも許されず、数ヶ月、心が壊れそうになるのを抑えるために
喜怒哀楽を消し一切の交流を断ち、這い上がるエネルギーがチャージされるまでただ時間が過ぎるのを待っていました。


幼少期
のびのびと大自然でありのままに何不自由なく過ごし

思春期
病気で働けない父親の代わりに働く母親と
父親との間で
常にお金をめぐっての口喧嘩
母親の顔色をうかがって、
波風を立てないよう、
加えて母親の笑顔を見たくて
いい子でいようと努めはじめます。

社会人
反動から爆発したかのように暴走する私は
心の赴くままに興味あるものだけに
思い切り没頭し、その好奇心は止められませんでした。
お酒にタバコに音楽にバイク、
レコード&古着&クラブイベントがステイタス、
お昼のショップ定員から夜のバーテンダーへ
カウンター越しから同席へと水商売世界にどっぷりとなって行ったのでした。
夜ならではの貴重な体験は、それはそれで
親からも学校からも教わらない
世の中を生き抜くための生きた勉強場でした。

◉役割

32歳
交通事故により
右上肢身体障害者に

それまでも平坦とはいかず、
好奇心旺盛がゆえの動けば動くほど
経験豊富になるものの
山あり谷あり
bar経営に閉店に、つくっちゃおう結婚
旦那さんからの暴力、そして交通事故、4年で離婚


今度は身体障害者としてシングルマザーとして
這い上がるエネルギーチャージは、前回とは異なり
母親である自覚が大きく成長させてくれたのです。

それは天使のような子ども達を守るため
障害者となった私に頼らずとも
それぞれが世の中で、自立して生きていける様にするには、どうしたらいいか?
どんな生き様を見せていこうか?


役割が与えられたことで、
全部の喜怒哀楽を使って世の中は辛いよりも
楽しい事への可能性がいっぱいなんだよ!
ということを伝え始めることにしました。

見せる人生として這い上がる戦略をずっと考えて
生きてきました。

苦は見せない辛も見せない

なので心を許しておしゃべり出来る友達は
少ないでした。

◉矛盾

友人達
私にとって安心できる何でも言い合える存在は
なぜかみんな世間的に辛い環境でした。

これはどうしてだろう?
いい人達なのに
なぜみんな苦しんでいるんだろうと
考え始めました。

・身体障害者のYくん
・精神障害者のSちゃん
・精神障害者にここ数年で認定受けたIさん
・シングルマザーのKさん

大切な存在だったのにほとんど
疎遠になってしまった方もいます。
プライベートで何度もお茶したりランチしたり
私は安心して心を許していました。

疎遠の原因は
理解しようと心に寄り添い過ぎる私のサービス精神が仇となって、明るいエネルギーにもっていこうとする私との会話に負の感情エネルギーをぶつけて来て結局依存状態を作ってしまっていたからでした。

両親
父親に関しては
私が中2の頃から人工透析をする体になってしまい身体障害者1級に、それまでのスポーツ万能成績優秀で、ふるさとの田舎で、小さい頃から山や川での遊び、田畑での作物の育て方、キャンプにレジャーにいろんなところに連れて行ってくれては、体験させてくれた活動的な父とは異なり、家に引きこもってしまうことが多くなり、大好きな存在だっただけに残念で、成績優秀スポーツ万能でも健康ではないということが人生にとってどれだけ大切かという大きな気づきになりました。

要介護になり最後は脳梗塞で逝きましたが
私だけが知っています。逝くまでの1年間は
常に私が付き添い、その痛みに耐える姿や言葉もハッキリしない中でも最後まで父親でした。

母親は
母子家庭以上の収入源確保に働きに働いて、
ご近所付き合いから地域行事、いろんな繋がりを考え、旦那さんが病人だという不憫さを漂わすまいと周りとの調和を見せ、私たち姉妹を育て上げた頼れる大好きな存在でした。必死で生きていたと思います。
ガンは着々と進行し臓器切除と高額な抗がん剤投与をしたにもかかわらずずっと病気だった父よりも2ヶ月先に逝きました。

大きな愛と許しで私を見守る両親に、
親になってから心を許していたのはいうまでもありません。

私自身
人生の途中で初めて障害者という括りに葛藤しながらも頑張って生きてきました。

私も友人達も両親も
人道に反するようなひどく悪い事をしたわけでも
なく、特に友人両親は愛ある人たちなのに苦しんでいる様子を多く見てきました。

なぜ?どうして?
いつも感じていました。
世の中はどうなってるの?
神様はこんないい人たちに何をさせてるの?
どうしたいの?私は何をすればいいの?

■自分自身の人生で暴いていく

◉思考と現実

身体障害者人生
事故から社会復帰するまでの10ヵ月
4回手術を4ヵ月入院とリハビリ期間を経て、
長袖を年中着ること可能で腕を重要視しなければ
一般雇用で問題なかった私は、障害認定後すぐにハローワークへ行ったのです。

「障害があることに関しては本人の口から伝えて事業主側に交渉することになります」
これが最初に掛けられたハローワーク窓口担当から言われた言葉でした。

人生で初めて障害者になったひよっこ初心者としては、正直、何かもっとこう斡旋してくれるとか相談とか、心に寄り添うとか、そういった優しさ的なことを期待していました。

なんだ国ってこんなもんなんだ

お誘いを受けた「営業職なら」手を使わずにいける!
と、ハローワークにはあれ以来行くこともなく、障害者手帳をもらった月から、未知なる営業という世界に飛び込んだのでした。


時間重視よりも成果重視というのが、学校行事の多いシングルマザーライフの当時はとても都合が良いでした。

障害者雇用枠という働き方があるということも
知ることもなく理解すらしていませんでした。

営業
今日はどんな人に会うかな?と楽しみながら
毎日、飛び込み訪問をし、成果を獲得するまでのお客様とのストーリーを体験していきました。
いろんな方と出会い繋がり、いろんな人生を知りました。

機能障害を起こしたことにより、右利きから無理矢理左利きになると思考が変わったのか、想像していることが目の前に現実となって現れる不思議な経験をするようになりました。
営業車を運転中、ふと思い浮かんだ方と車ですれ違ったり、連絡がたまたま来たり、今日はどこに営業に行こうかなぁって考えていると、ふと目に入ったお店やお宅が、初訪にも関わらず、受け入れてくれて良い情報がいただけたり、どこかの誰かと繋がっていたり、
面白いことばかりでした。

その頃から思考って何だろうとうすうす意識しだしたのです。

◉再び矛盾

利益か心か
営業をしているとだんだんと自然に
経営者視点、経営戦略、市場調査力が身に付きます。
そうするともっと自分磨き、もっと成果につなげるにはと啓蒙意欲が湧いてきます。

セミナー参加、交流会参加、人が集まるところは
名前を売る絶好のチャンスとばかりにあちこちに行くようになり、そこで出会う
・きらびやかに物をたくさん持っている方
・事業で成功されている方
・年収1000万越えの方

お茶をしたりランチをする事も増えました。
良いなぁ!素敵だなぁ!
たしかに思いました。
ただどれだけいろんな人に会っても会っても
成果になっても、心を安心して開いて交流していたかというとそうではありませんでした。

ふと心に浮かぶ思い

私が本当に心安らぐ方たちは困窮している。

かたや、こちらの方達はそういう世界があるのを
まるで知らないかのようにしている。

ポジティブ!ポジティブ!ネガティブには
近寄らないのよ。
なんて言っていたのを思い出す。

私の大切な友達の困窮を伝えると
まずは自分が成功してお金持ちになって、
そういう人達を支援する側になるのよ。って

そうか!そうだよ。
同じ環境になって私が友人達に恩返ししたい!
喜ばせたい!

まずは稼ぐだ!稼ぐ稼ぐと走り回った日々。

営業、組織づくり、動けば動くほど、お客様の心に寄り添いたい、いい情報を提供したい、困ってることの課題解決したい、思いが強くなる。
気づくとお客様のためにと走り回ると利益は後からついてきていたのです。

ところが、ある程度の期間が経つと必ず、
「真面目にやってることだけじゃダメよ」
「低所得者の課題解決ばかりじゃお金にならない」
「ルールの隙間をくぐり抜けて行くことも大事よ」
「今度の成績大会での成果にあの顧客のいけるんじゃない」
「〇〇さんを表彰台に上らせたいからあといくらか成果持ってきて」

所属している会社側の利益優先な考え、
組織存続優先な考えは、
時に私を信用して選んでくれているお客様を
騙せ、利用しろ、と言っているように聞こえ
だんだんと矛盾を感じるようになってきたのです。

成功しているであろう方々と親しくなると
見えなくていいことまでが見えてくる
光っているからこそのドロドロな陰の部分

人生の目的を
「お金のために」としてしまったことで、
言ってる事とやってる事の矛盾に気づいてしまう私でした。
「あなたのためなの」「あなたの成功を願っているの」というトーク

本当は「自分のため、自分の成績のため」なのに、それを言わずにいかに集客するか、購買意欲に繋げるかにばかりに思考が集中し、相手の心に寄り添わない人達の真意が見えてくると冷めていく自分がいました。

稼いでいくには、この仕組みもあってこそというのも重々理解していましたが、あからさまな矛盾に歯向かうように、私自身は本当に役立つ情報提供だけして、あとはお客様判断と肝に銘じて行きました。

本当に役立つ情報提供だけだと収入は下がる仕組み
で、上げるためには少々目をつむる。
顧客を増やす葛藤をしているうちに、これが私のやりたいことなのか、、、わからなくなっている心理に気付きました。

見せつけられました。

ビジョンの明確化
私は以下を決めました。
・何がしたいのか
・何を目的に人生を全うしたいのか
・どういう未来を望んでいるのか
・そのためには何を知る必要があって
・何を解決していかないといけないのか
たびたび、自分を見つめ直し問いかけてきました。

◉使命

障害者になったのは、
障害者のために何かしなさいという使命だと捉えることで、私なりの答えを見出そうとしていました。見た目にわからない身体障害者にどうして私がならなければならなかったのか、なぜ人にいちいち説明しないと理解されない障害者になってしまったのか、という葛藤に対する答えを見出そうとしていました。使命=原動力

なので、人生のやりたいことの設定は、
この頃からいつだって決まって
「障害者支援」
これ一択でした。
しかも1人の人としての支援です。

まずは
地方自治体の身体障害者との関わりを知りたいと

❶2014年、当時住んでいた町の身体障害者協会会長に立候補

地方自治体側の障害者支援をどう捉えているかの実態を見て感じて知った期間。40代前半の私以外は高齢者が多くを占め、老人クラブ行事と障害者行事と被る方が多く本当の実体把握とはいえない状況。会員減少と会費問題、障害者への周知不足、問題は多岐だった。

❷同時期、町の上肢身体障害相談窓口兼務を引き受ける

引き受けて欲しいっていう話が自治体からあった際、素直に嬉しかった。自分の障害が誰かの役に立つんだとワクワクした、ただその時の伝え方で私は自治体がどういう気持ちで、この業務に取り組んでいるかを知った。
「忙しいとこ申し訳ないけど、今までもあんまり相談事例というほどの連絡は入ってないので、一応形だけになるかもしれないけれど連絡先を広報に載せていいかな」だった。忘れない。忙しいと思っての気遣いだとしても、その何気ない慣れた言い方に現状を知った。
相談はあまりない⁈ 周知されてないからでしょう。
現にその時初めて、私も知ったくらいだった。
「そんな窓口あったんですね」とその時は波風立てないように返した。

年度末、相談役手当がいつのまにか振り込めれていた。複雑だった。一件も電話はなかった。

障害者は、大抵が人生の途中で障害者になっている。
どこの誰ともわからない相談窓口と記した文面に、
すぐさま相談するとは思えない。自分と向き合うのに
必死なのに、、、
そういう心が理解できない障害者じゃない人たちが、予算上、形式的に組み入れただけのルールにがっかりだった。

せめて「相談が来たら経験で知ってることなど対応してくれたら助かる」とでも言ってほしかった。

❸2016年、地方都市の起業相談会に参加

「障害者の就労に関して障害者の私だからこその支援が出来る事業内容で起業したい」
と伝えると
「いい考えですね!企業の方から喜ばれますね。
七夕さんが紹介してくれた障害者は安い賃料でも真面目によく働いて雇いやすい。と経営者さん達が喜びますね」とアドバイスされ「は?」となった。

どこに相談に行っても経営目線。
てっきり「障害者側の気持ちに寄り添える事業」っていいですね。から始まる会話だとばかり想像していたので、唖然とした。

❹2017年、就労継続支援A型事業所の新規事業説明会
複数社参加、資料請求複数社


事業を運営する側に障害者はほとんどいません。
こういう風に運営する側は障害者を捉えているんだと知り感じた。


❺2017年、就労継続支援A型事業所法人登記

国は、障害者をたくさん集めた事業所にお金を出すということを知った。
たくさん集めなければ、事業をするうまみがない。
起業する側がそこそこの利益を得たいならば、
多店舗運営で障害者が多い方がいいという仕組みは、
障害者にとって選択しが増えて可能性が広がるような、一見聞こえのいい仕組みのようで、起業しても集まらない事業所は障害者集めに力を入れるようになる。
これがどういうことかを考えさせられた期間だった。
障害者がいないと成り立たないビジネスは、これからも障害者がずっと増えた方がいいという風に、私には見えた。

❻譲渡

税理士とは、月額顧問料をもらう前提で手続きに動いてくれていたんだと改めて知った経験。全てお金になるかならないか基準だと知った。

❼2018年、精神障害者グループホーム事業説明会参加

「国から安定した収入が得られる」と、全く福祉に関わったことがない異業種の経営者に説明が行われる場に起業希望者として参加させてもらうと、当たり前ですが、誰もどこからも、この事業をするとどんなメリットが障害者にとってありますか?という質問は、出ない。何人障害者を入所させると何か月で初期費用回収になりますか?が多いことを改めて目の当たりにした。


❽2019年、福祉事業所の営業として務める

福祉の世界を知る。国がどういう流れで弱者カテゴリーにお金を使っているかの流れを垣間見れ、現場を知ることができた。
障害者がいた方がいいのと同じで、要介護5の方達がいた方が、利益になるということを初めて知った。


❾2020年、企業内の障害者就労支援管理職として、地方から関東へ


中心地での国と自治体とハローワークと中小企業と
障害者と、心療内科と就労支援機関との関わりの
仕組み、お金の流れが理解できた。

➓2021年、身体障害者の代表が始めたベンチャー企業勤務
大手企業シンクタンク分科会傾聴

大手企業の障害者取り組みの実態を知る。
目に見える身体障害者へ理解は進んでいても、
目に見えない精神障害者へは消極的で、心に寄り添う時間も予算も惜しむ傾向の中、ITによる機械的に分析管理支援しようとする動きに、逆に精神障害者を増やしてしまうのでは?という矛盾から離れる。


◉感想

日本を動かしているであろう「国」「自治体」「大企業」「資本家」って、こんな薄っぺらい上辺の見せかけで、お金を動かすことばかり。どこもかしこも真に人の為になんて考えてはいなかったのね!

障害者でありながら、障害者ではない側に立って
見てきた視点、関わってきた経験はそれこそ貴重でした。


障害者は、障害者じゃない人に管理支援され、
日本国民は、日本人じゃない人に管理支援されてきたのなら、そりゃあ困窮者続々と増える訳だわ!と
どうしたって思ってしまいます。
実際そうだったので
今もその日本人ではないトップたちの都合のいいように事が進んでいる日本ですよ。

もう気づきますね

どうりで
心安らぐ友達に幸せになってほしいのに
そうはならない世の仕組みになっていて
心優しい人が真面目な人が潰されていく社会だったのかと理解したのです。

履歴書や職務経歴書では本当の志望動機なんて
表現できませんでした。

この今、
時代の切り替わり期に差し掛かってきたことにより、
経験の全部が繋がって、これまで世間的には一般的ではなかった歩みも、大きく意味のあったものに変わってきました。
全てありがたい経験でした。

今のいろんな社会の動きが、よりわかりやすい!
それは実際に見てきて経験してきたからこその賜物

◉固定観念

元々、固定観念に囚われることはなかった私ですが、
一択として目標にしていた「障害者支援」は
支援は支配する側目線だということが今回はっきり
腑に落ちました。

この点に関しては、私のエゴでした。
「支援したい」はこちら優位でした。

◉結論

支援しなくてもいい社会
支援が必要のない社会
つまり、
ひとりひとりが、こうしたいああしたいという
自由意志で、それぞれ主張出来る社会で、それを
受け入れられる心の余裕が国民全体にある社会
ギスギスしない社会にする

みんなが
心豊かになる社会を作り出すことの方に
みんなが意識を変えていく必要があって、
その事へ尽力した方がきっと、
今後のためになると感じ始めました。

■どうしたら、依存も支配も管理も強制のない自由意志を互いに認めて合い、尊重し合える社会実現できるのか、、、、


◉発信する

目に見えるお金や物や人という
自分よりも外側にあるもので幸せは得られる。


これは今までの時代の思考(3次元思考)です。

これからは
自分の内側の意識に豊かさを見出していくことが重要
となります。
そう感じ取ってもらえるような発信を少しずつ始めました。

目に見えない思考や精神性について、
自分の人生で生命保険という形の無いものを営業するという経験や、見た目には理解されない右上肢身体障害者という葛藤から、実体験として学んできたことを発信し始めました。

楽しいことオシャレなこと面白いことの発信をしてるわけではないので、共感が得られにくいですが、
この唯一無二の人生経験を最大限に活用したいのです。

私の魂の使命です。
生まれる前に設定してきたシナリオなんだと思っています。発信意欲が止まらないということは、そういう事なんだと思っています。

2022年、まだまだこれから次元突破経験をする方が増えてくると思っています。
混乱しそうな方のために役に立ちたい。

テレビを見てマスクをしなきゃ、注射打たなきゃと、まだこれまでの時代感覚で過ごしている方々に
自分は?自分の心は?本当はどうしたいと思ってる?と常に内側に答えを求める意識、伝えたいです。

◉国はどうなっているのか?

なぜ、心で思うことと違うことをさせられ、
苦しいと言わせないような社会があるのか?
笑いでごまかし、真実や本質を見ることをバカバカしく感じるようになっているのか?
なぜ、韓国が流行っているのか?

なぜ周りの優しいいい人達が困窮してる社会なのか?私が疑問に思ったように、その素直な疑問.矛盾を
調べることが自由に生きるために必要になってきます。

必要があるから起きているコロナ騒動とマスク着用と
ワクチン接種問題

誰かがやってくれている、調べてくれている、周りが動き出したら動こうかな、っていう他人任せをやめて
1人ひとりが自主性をもって知ること行動することで
社会は世の中は変わると思っています。

そのきっかけの2020年地球規模感染症発生だと思っています。

◉障害者支援のためにと意識して走ってきた人生が、いつしか人類の3次元思考奴隷解放からの自由支援へとなっていた

どうか、この内容が少しでも伝わって、親世代が動いて、子ども達に残す世界が、自由で平和で溢れている未来になりますように、まずは地球の一部利権者層からメディアを通して、多くの人類が奴隷支配洗脳されていたことを理解し、そこから脱出するんだという自由への強い意志を持ち、自分の意志で意識変換していくことを強く願います。

本来、人は自由なのに、〇〇しなければという奴隷支配に慣れてしまっています。
ワガママがいけないとなっています。
ワガママな自己主張が出来なくなることが、どれだけ
精神障害者を現代に増やしていることか、知ってください。 また、精神障害者が増えることで儲かる潤う仕組みがある事も知ってください。

障害者の事なんて関係ない、興味ない、なんて言ってると、明日は我が身です。

この国は、この地球の人類を牛耳ってる者たちは
人類総精神障害者にしてしまうことは簡単です。

元に私が見てきた精神障害者の日常の「依存」「薬漬け」「自分で考える思考剥奪」「自由意識喪失」は
今まさに現実として国がやろうとしていることと同じです。

目に見えないコロナを恐怖で煽り、ワクチンを何回も打たせに来ている現状がそのままです。

どうかどうか気づいてください。

長文を最後までお読みいただきありがとうございました。

https://doukei.com/norikotanabata 


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