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【この3年間の総仕上げ】


*これからどう生きるかの分岐が、2022年12月22日冬至に本格化するとあちこちで目にします*

◾️2019年までの私と2022年の今の私とでは全く違います。大きく変わりました。目指していた成りたい像も変化しました。

◾️2019年までは障害者に役立つ事をするんだ!
新たな障害者就労事業で起業して世の中を変える人物になるんだ!が目標でした。

◾️2022年の私は、人生の途中で身体障害者経験をした私が不自由ではなく“自由に”人生を楽しんでいる元気な姿でただただ生きる✨表現する✨これだけで充分じゃない⁈
私にしか出来ない人生なんだから✨という認識に変わりました✨

楽になったんです😌許したんです💖
心が穏やかになったんです。

これは2003年に交通事故で右上肢身体障害者になった私にとって、まさに大変革な解放感で
【大きな大きな大きな意識変化】なんです✨

2004年社会復帰するにあたり相当な覚悟をして復帰しました。すでに4歳と1歳のシングルマザーとなる事も決断したばかり、旧姓に戻さず旧姓の実家に両親と暮らす決断をした私

当時、憎んでも恨んでも何とも思っていなかった
旦那さんとの人生の暮らしよりも
病気で働けない父親に代わって一家を長年支えてきた母親が発した「お母さんを見捨てるの?」の言葉に情が負けて親と暮らす人生を選択しました。

旦那さんは7つも年下
身体障害者になった年上奥さんとのこれからの暮らしよりもまだまだ若いからいくらでもいい人が現れるはず、

旦那さんには替わりの奥さんは現れても両親にとっての一緒に暮らせる娘は私しかいないとの決断でした。

同時に2人の子供達から父親のいない人生という
道を歩ませる選択を私がしてしまった責任を感じ、両方揃ってる家庭の子ども以上の愛情と受容と貫禄の母親になると決断でした。

普通の人以上に努力して、でもその努力してます的な悲壮感は出すまいと特に家族には心配かけまいと強く笑って魅せて来ました。必死に生きてきました。

これが終わったんです。
こうしなければ社会で認められない
弱者となり社会から必要とされなくなる
それどころかお世話される支援される側になる
そんな社会の位置付けな母親像を子供達には
抱かせまい、この思いだけで必死でした。

右腕を隠せる場では隠し
営業では健常者と対等だと自分に言い聞かせ
負けそうになる心を律し、奮起し、地域行事や
保護者行事、PTAバレー等の運動など障害部位でどうしても出来ない動きでの悔しい思いを押さえ込み、なんとか娘として両親には孫との楽しい生活を、子供達には何不自由なく20歳まで育て

もう
「頑張らないと認めてもらえない私」が
不要になりました🙌

「頑張らなくてもありのままで充分生きてる」
そのままでいいんだよねって

自分で自分をほどきました。

この概念の変化は大きいです💖

ずっと今まで
【頑張らないと認めてくれない世の中だ】
という認識だったので
そういう現実が私から見ている世の中でした。
同居の家族以外は頑張っている姿を見せないと認めてくれない「敵」だと見えていました。

この気づきが2022年にあって、大きく大きく
認識が変わりました。

ずっと私は今まで
【頑張らないと認めてくれない世の中】を
自分の潜在意識で自分で創っていたのです。

これを少しずつ手放すための3年でした😊

こうなりやすい時代背景での教育で育った親や世間や概念でトラウマを抱えた多くの人が
この認識を書き替える3年だったのでは⁈と思っています。

【ありのままのそのままを互いに認め合える】世の中になった💖という認識にもう私はなりました😊

だから私から見えている世界は「多様なキャラの人が互いに出来る事をしてそれぞれの経験値上げの人生ゲームを楽しんでいる」に変わりました✨✨✨✨✨✨
私は私、もう充分オリジナリティ溢れるキャラのうちの1人です💖

これからは、このキャラでしか出来ないことや
この地球のまだ見ぬ場所での経験値上げを楽しみたいと思います😉

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