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世界を創るプログラマー。

R5.6.15 1.世界を創るプログラマー

世界が急に動き始める。

『私=世界』『私=ルール』『私=世界のプログラマー』

自分の認識や設定が、思い込みが世界を新たに創造しだす。

世界と言うものへの認識が180度、変わってしまった。

私がそう決めれば、エネルギー場では直ぐにそうなっているのが解る。というか、どうしてなのか解らないが確信がある。

肌で感じる。と言う言葉が一番しっくりくる気がする (^_^)

私が世界のプログラマーであるが故に、私は“朝に弱い”を“朝に強い”に、変えることが出来る。

“朝に強い”と意図すればよいだけだ。

目覚めが心穏やかで、最高に体調がよい。

パッと目が覚める。

朝ごはんがおいしい。

どうしてか解らないけど、とても爽やかだ。

と言ったものに決める www

その設定をして、本日2日目。

本当に目覚めが爽やかで、朝ごはんを食べても気持ち悪くならなくなってきて、自分でそうしたのだけど、

多少は驚くよね ww

味が細かく感じ取れるようになって、ごはんや豆乳の味が、以前とは比べられないほど、クリアに感じとれる。

今までとは違い、舌が敏感に、全自動で食材本来の美味しさや旨味を拾ってくれるようだ。

モノクロだったものから、色鮮やかな8Kカラーに急になった感覚 ww

あまりに美味しいものだから、自然と食材に感謝の念がこみあげてくる。

『ご馳走様でした』の言葉にも、純粋な心からの感謝が含まれるので、自ずと重厚感が出てくる。

今までの私は、“朝が苦手”“朝に非常に弱い”といった、レッテルを自分に押し付けていたから、

どの朝も、目覚めると具合が悪かったり、とても眠かったり、フラフラしたり、胃のあたりが重くムカムカしていたりだったので、

そんな状態で朝ごはんを美味しく食べられるはずもなく、20年くらい朝ごはんは、豆乳150ml~180mlくらいの生活をしていました。

それが、たった2日で変わるとは・・・(;^ω^)

う~ん。今まで一体何を考えていたのだろう。

今となっては、変わりすぎてもう、解らない www

その私とはもう、何のつながりもないから。

R5.6.19 2. おエゴ様とお影様

聞くのではなくて、自分で決める。

私はそうなりました www

外側に答えを求めたり、外側で何かを探したりすることが、無意味だと理解すると、エゴと自分を同一視しなくなっていきます。

何か自分とは違うエゴなるものがいることを知りつつも、意識である“私”とは違う人格をもったもの。

そうなってくると、エゴとの長い戦い日々に、急に終わりが訪れます。

エゴを抹消しようとする試みは、おやめになった方が良いと私は思います。

地球上では、沢山の生きとし生けるものが共存しています。エゴもその仲間の一人なのだと認識された方が、エネルギー的には対立を生まず楽なはずです。

戦わないことが、沢山のエネルギーを享受するのに適しているのです。

エゴとの戦いほど、愚かしいこともありません。

エゴと戦うなんて、自分の影と戦うようなものです。

太陽を始め、光ある所に立てば必ず自分の影を目にすることになります。

影が出る度に、「おい、いい加減うっとうしいから着いてくな!!どこまでついてくるきだ。まったく、トイレまで着いてきやがって」

なんて、影に向かって、怒鳴っているユニークな方には、ありがたいことにお会いしたことはありません。

その上、どうしてそうなってしまったのか解らないけれど、影の方が本当の自分だ。なんて勘違いをしてしまう大胆な方も、そうそうおられないと思います ( ´艸`)ww

ですが、エゴが自分だと勘違いしている状態は、この影を自分だと勘違いしている状態と同じようなものなのです。

ねっ、もの凄く無意味で、とても残念な感じがするでしょう www

エゴを自分だと勘違いしていたことから、我に返った時、なんとも可笑しな話もあったモノだ。とみんな思うと思います www

さぁ~、本来の自分で、みんな楽しく生きていきましょうよ。

R5.6.23 3.自分の正体を知る。

2023年6月21日の夏至も終わり。

どんどん、どんどん。軽くなっていく (^_^)

現実様の下僕・・・?

現実教信者からの脱会・・・?

言い方は、色々あるだろうけど、現実という名の幻に、真実を置くことをやめたの。

現実こそが真実だと、自分に思い込ませようとすることもやめた。

もう、ゲームの中の登場人物にはならない。

だって、私=世界。

私=プログラマーだから。

プログラマーは、ゲームの中には登場しないの。

ドラクエの世界を創るなら、自分が勇者ロトでは決してないの。

プログラマーが自分なの。だから、創りあげるの。

とりあえず、お城と王様とお姫様はてっぱんかなぁ~。

お城の内装はこんな感じで、こんなところにシャンデリアとか、ウフフフフ。隠し階段作っちゃおう。

序盤から見えるところに大量の宝箱おくけど、終盤にならないと取れないように、最後のカギでしか開けられない、牢獄の扉をつけて、しかも、強力なバリアをはっちゃったりして・・・ムヒヒヒヒッ( *´艸`)

さてさて、外の世界には、彩に毒の沼地も必要だし。ここら辺はこのくらいのレベルの敵を配置して、やはり一番初めに戦う相手は、水色の可愛いアイツだよね。

お姫様を救出したら、面倒くさいことに、お姫様をお姫様抱っこして城まで連れ帰える設定にして、だって、お姫様はお外の荒れ地を歩けないもんね。

そのご褒美に、お宿イベントも盛り込んで・・・。

古き良きドラクエ1参照 (´∀`*)ウフフ

よしよし、完璧💛

これがプログラマーである自分本来の遊び方。

ねっ、なんの苦労もなく、痛くも大変さもない楽しい作業でしょう。

そこには、最初からすべてがあって、ただ、自分が思うように配置することを意図するだけ。

真実の充足から始まる世界観。

だけど、その事を忘れて、自分をエゴ(勇者ロト)と思い込んでいると、

もう、何日も森を歩いている。この先に本当に町なんかあるのか。あぁ、のんびりお風呂に入ってゆっくり寝たい。

スライムむかつく。装備品高すぎで変えない。戦うのが面倒くさい。

くそっ、大量の宝箱を目の前にして、扉が開けられない。こんな扉もバリアもいらないだろう。

一度、行かないとルーラ出来ないなんて面倒くさい。

毒の沼地なんて必要ないだろう。

ゆっくりする時間がない。

装備品を買うゴールドが足りない。(序盤)

何も悪いことしていないのに、理不尽に敵に襲われ、常に命の危険があり、安息がない。

勇者なら、勇者ならと人々の勝手な期待ばかりを押し付けられる。

一体、自分はどうしてこんな大変な思いをしてまで、世界を救わないといけないのだ?

なんの義務があるというのだ。

どうして、自分ばかり・・・・・こんな理不尽な目に。

う~ん。エゴ(勇者ロト)から見るこの世界は、不足の世界でめっちゃ苦しくて重い・・・(;´Д`)

今までは、不足を起点にした苦労や、スリルやサスペンスといったものを、臨場感たっぷりに楽しみ尽くしたい。とゲームに熱中することにし、

エゴを自分だと自分で思い込むことを、自分で意図しました。

それには、自分がプログラマーであることを忘れる必要があったから、忘れて、遊ぶことを自分で決めたという経緯があります。

それが、眠りの状態です。

自分を、勇者にして、そのゲームの世界だけしか存在しないことに決めてしまった。

そこは、自分以外の何かもっと大きな力によって、制御コントロールされている、自分ではどうすることも出来ない世界。

自分はその世界の、ちっぽけで非力なコマの一つでしかない。

だけど、どんなに深く眠っていても、本当はプログラマーだっていうことは、変えられない。

なにせ、そっちが真実だからね (^▽^)

どうしたって、いつかは目醒めることになる。

そして、そのゲームから卒業し、本来の自分として、プログラマーという意識をもったまま遊ぶことになります。

それが、今か、またの次の機会かというだけです。

だから、エゴに対して、怒りや嫌悪感をもつことは、お門違いなのです。

自分がそう思い込むことを決めて、勝手にそうしたというだけですから。

本来プログラマーの視点でみたら、ドラクエの世界は、本人としては、一寸の狂いもなく、自分の思い通りに描いた完璧なもの。

カッコいい装備品や、クールだったり、可愛かったりする仲間や敵キャラ、ステキな建物や家具、景色。

自分が面白いと感じるストーリー。

自分のお気に入りを、置きたいところに自由に配置するのだから、最高に楽しく、自分にとって完璧世界なのは当たり前だよね。

そして、そこには何のルールも規制もない。

だけど、エゴ(勇者)にとっては、

ダンジョン=暗くて長いし、敵が多い。敵減らせ。

レベル上げ=面倒だしMPもっとよこせ。

装備=高い、ゴールドが足りない。

常に、不足、不足、不足のオンパレード。

この不足感から、その不足をなくそうと、願いや望みがうまれるのです。

だけど、その願いは全て、不足に感じることをなくすことが目的なので、不足しているという事を強く感じる更なるエキスになるだけなのです。

エゴを満足させる為に、エゴの思考を使っても何も解決しないのです。

エゴは、更なる不足を呼び寄せてしまう。

エゴ(ゲームの中のキャラ)がどんなにもがいても、プログラマーが設定した範囲以外には動くことが出来ないのです。

所詮は、そう設定されているキャラというだけなのですから、

解決できるのは、プログラマーしかいません。

しかも、ササっと新たに意図して、エンターキーを押すだけです。

苦労に飽きた方から、どんどん遊び方を変えていきましょう。

自分が自分の世界のプログラマーであることを、くれぐれもお忘れにならないでくださいね。

R5.6.26 4.世界のルールの外に立つ。

ゼロ。

そこには何も無い。

何もないが故に、全てが有ると言えるフィールド。

無いものが無いのなら、それは有るということだから。

地球に生を受けてから、生きていく日々の中で、エゴは、

一つ、また一つと、自分に対し、地球で生きる為のルールを課していった。

だが、それは自分を苦しめる為のものではなく、自分を守る為であった。

自分の身体に問題が起きないように。

自分の心がこれ以上傷つかなくてすむように。

そんな予防線を張るような形で、エゴは沢山のルールを自分に追加していった。

どんなに自分を守る為のルールでも、いつしか、増えすぎたルールは、自分を縛りつけ、窒息しそうな不自由さを感じさせるようになる。

始めは、身体がないと体験出来ないその不自由さの、苦労や苦しみの数々を楽しむことに同意し、眠りについた。

眠りについたことで、自分=エゴだと勘違いすることを了承した。これも一種のルールだ。

だが、飽きたのだ www

そう、苦労することや苦しみ抜くことに、私は飽きたのだ (^▽^)

だから、やめた。

その遊びから一抜けすることにした。

眠りの遊びをやめたのだから、眠りの遊びのルールブックに、もう従う必要はない。

ゲームをする時は、どうしてもルールが生じる。

それは仕方がないことだ。

麻雀・オセロ・花札・カードゲーム・テレビゲーム、カジノ・人生ゲーム・・・・。

決められたルールで小さく囲み、参加者がそれを了解し厳守した上でないと、みんなで楽しく遊べないのだ。

だけど、今、麻雀をしていなければ、麻雀のルールを守る必要がないように、眠りの遊びをやめた私には、眠りの遊びに必要だったルールを守る必要がない。

『眠りの人生ゲーム』の盤面から、私はおりたのだから。

実際にうどんを目の前にして、人生ゲームの盤でうどんを購入するまで食べられない。なんて、馬鹿げたことをしてもしょうがない。

私はゼロに立つ。

そして、ルールの外で遊び尽くすのだ。

R5.6.28 5. 常に“最高”に備えなさい。

車の多い朝の通勤時間。

リラックスして車を運転していると、ふと大空が目に入る。

どこまでも続くその大空では、一羽のトンビが、境界線もなく、気持ちよさそうに風を感じ、悠々と飛んでいる。

その自由で気持ちよさそうな姿に、地上の人々の忙しすぎる生活や、狭苦しく、土地を分割している姿が滑稽に思えて、急にニヤリとする。

元々は、誰の土地でもないのにね。どうして販売なんて出来るんだか (;´Д`)ヤレヤレ

そんなことを思ったあとで、次に私の頭をよぎったのは『鳥の糞が私の車に落ちてこないといいな』だった www

駐車場に車を止めていると、稀に鳥の糞が車に落ちているから、エゴたんが、最悪を想像して、私に忠告をよこしたようだ。

その事に気づき、「お疲れエゴたん」と伝えていたら、

『常に“最高”に備えなさい』と私から聞こえてきました。というか、おそらくミカエルさんから言われたのだと思うのですが・・・。

「!!!!!!!Σ(゜Д゜)」って、なりましたよね。

今まで、気付かなかったけど、どうしていつも私は、最悪に備えていたのだろうか?

それはね、いつでも最悪に対処できるように・・・って、アホか!!Σ(゜Д゜)

めっちゃそれ、エゴたんを操縦席に座らせているじゃん www

こっわ!気づかないってめっちゃこっわ。

あぁ、今まで私は、いつもこうやって最悪を想像しては、現実を創りあげてきたのか。

そりゃ、楽しくないわ。今までの人生 www

エゴたんからすると、本当に最悪のことが起きた時に、心の準備が出来ているように、みたいな配慮からなのだろうけど、

そもそも、その最悪の想像をしなければ、最悪のことなど起きないのだから、必要ないんだよね。

しかも、エネルギーはプラスに強く働くので、マイナスなことはプラスのことより起こりにくい宇宙の設定になっているので、

マイナスを現象化させるのは、プラスよりもかなり根性と忍耐がいることなんだよね。

本当、根性あるな、私 www

とは言え、私は、「常に最悪に備える」というエゴたんが決めたルールに気づき、

そのルール(エネルギー)を手放し、二度と使わない。と決めて、そのルールが成立する世界(次元)から飛び出してしまった。

飛び出したことで、その世界は私から見えなくなってしまったので、

今からは『常に“最高”に備える』の世界観で遊ぶこととなった(^▽^)

いつでも、“最高”に臆することなく対応できるように、そして、いつでも喜んで“最高”を受け取れる心の準備が出来ているように。

R5.7.4 6.モフモフとは戦うべからず。

抵抗を手放す。抵抗を手放す。と引き寄せの本で、エイブラハムが何度も言っていたが、

正直、抵抗が何なのかが、解っていなかったのだから、どうすることもできなかった www

抵抗って、自分の中に自分で守ると決めたルールがないと、出来ないんだな。って気づいた。

そのルールにのっとり、自分にとって嬉しいものかどうか、良し悪しや、正しい正しくないを決め、

悪しや正しくないと判断したなら抵抗する。自分の為に?抵抗する。

だけど、その判断は誰がしているの?

本当に自分?

未来への不安や恐怖を感じて、それを取り除こうと抵抗していない?

抵抗しているということは、エゴに実権を渡し、現実様の言いなりになっているということだよ。

揺らぐな、自分が揺らぐと、自分の世界も揺らぐ。

自分の世界の全てを、自分で決めなさい。

エゴを操縦席にすわらせてはダメ。

エゴと言うと敵対心がわくから、これからはモフモフと呼ぶね www

誰かがそう呼んでいた。

モフモフは正義。犬族やネコ族などのモフモフを見ると、それだけで心が和むからね。

エゴ(モフモフ)とは戦わず、無償の愛で溶かしてあげましょう。

R5.6.6 7.源の自分で気分よく生きる。

現実なんかこれからの私には一切関係なぁぁぁい。

選び直せばすぐに変わる。

誰かの言葉につられなくていい。

世界のルールも、今の私には関係なぁぁい www

世界は自分の中だけにしかないのだから。

自分の世界でいきる。

一人一人が自分の世界を大切にし、高いレベルでの共同創造が始まる。

自由で豊かな世界。

自分が満足すれば、無尽蔵に有り余る源の愛(光)のエネルギーは、自分を通し、勝手に外へと溢れ出す。

流れ出したエネルギーは、必要などなたかへとキチンと届き、最大限のお役立ちをすることだろう。

でも、モフモフの『相手にどう思われるか』などの不安から、自分のエネルギーを誰かに譲ろうとしてはいけない。

愛のエネルギーは、自由に流れるものだから。

モフモフの思惑で動くようなものではない。

本来の自分が意図することで、動き出す。

それには、源の自分で気分よく、生きていくこと。

R5.7.10 8.常に自分の中心にいたいものです。

人それぞれに、自分で想像した世界を現実として創造し、体験をしている。

学びたいことやその為に体験したいことが、人それぞれに違うからだ。

だから、私は誰の邪魔もしないことにした。

誰かの現実世界のモブキャラや、お助けキャラには、自らなりにはいかないし、その世界に登場することを自ら進言することもしない。

もし、誰かの現実に登場する時は、“楽しそうだ”と感じ、一緒に遊ぼう。学ぼう。として、何も考えず、飛び込んでしまった時だけだろう (^▽^)

誰かが言っている批判や悪口に頷くこともしないし、誰かの愚痴に付きあうこともしない。

そして、誰かのマウント行為も、ただ静観するのみ www

今は、自分の中心にある源からの七色の光から、ズレないようにのみ心掛けている。

自分100%の場所とでも言えばよいだろうか www

そんなことを続けていたら、以前なら直ぐに、虎視眈々と私を自分の世界のモブキャラにしようと、誰かに絡まれていたものだが、絡まれなくなった。

いや、絡まれなくなったというよりかは、私が気にしなくなった。の方が、このエネルギーの使い方を言葉にするなら近い気がする。

自分のエネルギー(意識)をその誰かに注がないので、その誰かと繋がらないのだ。

ネット回線、電話回線、ラジオ・テレビなんでも良いのだが、どちらか一方がつないだところで、もう片方が繋がろうとしなければ、繋がらない。

だから、私は繋げない www

ただ、それだけなのだ。

常に、その世界の主として自分の中心にいたいものです。

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