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ロックン・ロールの向こう側


あの頃、忌野清志郎と


突然キャラクターが変わったものだから、一番驚いたのはクラスの女子だった。
小学の時はそれなりに友だちもいて、男子限定ではあるけれどもそこそこに人気もあった。くだらないジョークも口にしてたし。
しかし中学に上がるとまるで、言葉を失くした聾唖のように身体の廻りにバリアーを張るようになった。
いや、意識してバリアーを張ってたわけではない。
自然とそうなっていった、としか云いようがない。
クラスの女子は、どうしたの?何かあったの?、と時には遠回しに、時には単刀直入に訊いてきたが、俺には何も答えようがなかった。
あたかも気分は底なしの命題に陥ってゆく哲学者だった。
何に悩んでいたのか、何を考えていたのか。今となっては知る由もない。
でも確かにあの時、俺は命からがら思考と黙考の底なし沼に足を引きずられていたのだ。
見ようによっては憑依されていた、とも云えよう。

生きることがつらいとか、だるいとか、この先なにも楽しみがないとか、絶望を感じるというのでもなく、ただ何となく「もう、いいや」みたいな気分であったことは否めない。
たかだか人生12年で、「もう、いいや」である。
生きる気なし、であった。
皆無。

自転車にのって、遠くへ出かけた。
たいがいはひとりだ。もちろん。
目的は、ない。
歌をうたってペダルを漕いだ。
国道12号線を走る中央バスとレース気分で俺は風を友とした。
声をかぎりに歌をうたい、そしてペダルを漕いだ。
はたから見ると気狂いに見えたにちがいない。
砂川から滝川までのびるまっすぐな国道はひとりぼっちのライブステージだった。
観客がゼロの、孤独なスタジアムだった。

もう明日死んでもいいよ、などと空知川に架かる橋の上で流れる水を見下ろしたのをはっきりと覚えている。
民家の無い場所に設置してあるビニ本の自動販売機が鈍く輝いていた。
帽子に汗が滲む。ナイロンの黄色いスウェットパンツは薄手で、風が心地よかった。
律儀な伝書鳩のように、向こう側の壁にタッチして、それから来た道を戻る。
ただそれだけだ。
家に帰れば母親が作る晩ごはんが用意されているはずだ。
そのことをあたり前であるかのように、のほほんと生きていた。
生き恥をさらしていた。
そして今でも。あまり変わらない。
取り巻く環境は少しずつ変わり、独りであったり無かったりもあったが、しかし基本的な部分は何も変わっていないように思う。
また独りだ。
自転車は売っ払ってしまった。セカンドストリートで3,300円になった。
俺はひとりではない。
しかし独りだ。

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