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本9 あいつと私 石坂洋次郎

うまいなあ、と読みながら何度も思った。大衆作家ですよ。紛れもなく。

まず親切ね。登場人物が決して少ないわけじゃあないのに、混乱しません。誰が誰だかわからなくなる事がありません。主人公の「私」は4人姉妹であるにも関わらずです。それはきっと石坂洋次郎が読者を混乱させまいと注意を払って書いているからじゃないかな。つまりうまいのです。

そして黒川三郎。「あいつと私」の「あいつ」の方です。この人物のキャラクター設定の勝利でしょうね。黒川三郎という存在が、この小説を成功に導いている大きな一因と僕は考えます。当時はそんな言葉、無かったでしょうが”カリスマ性”がある。不良で坊ちゃんで世の中から少しはみ出している。とても魅力的な人物なんですよ。これに役者をあてるとしたら石原裕次郎以外に考えられないわな。もう、アテ書きした?ってくらいハマっている。読んでて黒川三郎が裕次郎にしか見えてこないもの。頭の中がそれにLOCKされる。

普通、小説を読んでて登場人物に俳優の顔が浮かんで来たら往々にして邪魔なもんだけど、この作品にかぎっていえば、そんな事はなかった。

しかし「私」の方に関しては、誰の顔も浮かんでこなかったなあ。あえていえば吉永小百合だけど調べたら吉永小百合は「私」の妹役の方でキャスティングされており、これまたびつくり。きっと年齢的な問題なんだろう、「私」で吉永小百合を使うには、当時は、若すぎたのかしらん。(ちなみに映画の「私」は芦川いづみ。これはこれでOK)。

大学生の男女たちがパーティで手をつなぎ輪になって、内側が右回り、外側が左回りしながら、「蛍の光」を歌うというシーンなぞ、いまの時代には考えられないが、この小説の時代にはよくある光景だったのだろう。

また60年安保闘争にも触れており、当時の若者の心理を垣間見ることが出来る。結局はあれって、一部にはただのファッションだったと見なすことが出来るのでは?率直な感想を述べさせていただければ、そんな感じ。勉強になる。というか、ただひたすらに、おもしろい。そして石坂洋次郎の筆のうまさにあらためて圧倒される。

この作品は1960年(昭和35年)から雑誌に連載されたものを単行本にしたものである。

当然のことながら、時代背景に現在と大きく異なる部分はある。けれど、まったく気になりません。むしろその違いが興味深くすらあります。言葉の表現ひとつとっても、新鮮に感じたくらいだ。「ネックレス」を「ネックレース」とか。


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