コラム:幻の戦前宣伝雑誌『グラフィック』(1936-41)を探して(◆ニューズ・レターNo.40、2016年10月号)

 雑誌『グラフィック』は、1936年、IPR(太平洋問題調査会)ヨセミテ会議終了・帰国後に、尾崎秀実と共に会議に出席した西園寺公一の創刊したアジア情報誌(戦後の『世界画報』の前身)であり、版元の創美社は、西園寺が社長、名取洋之助、濱谷浩らを写真で登用、尾崎もたびたび寄稿するゾルゲ事件にとっても重要なグラフ雑誌である。
 「『アサヒグラフ』を進歩的にしたようなもんです」というマルクス主義経済学者による回想(杉本俊朗)もあるが、雑誌全体では、B4版の大型グラフ雑誌、写真が半分、記事が半分といった贅沢な作りで、写真は映画・演劇(例えば、モスクワ芸術座)・欧米風俗・ファッション・スポーツ、世界の観光地、中国特に上海の季節の町並み・風景など、モダンな海外文化が中心で軍事的色彩は薄く、上流欧風文化紹介誌の趣を持っている。幻の宣伝雑誌として、加藤哲郎・早稲田大学教授らが、ゾルゲ事件との関連から、鋭意、調査を進めているが、古書店で数号を入手したほかは、日本の図書館にも所蔵が見当たらないという。
 政治的スタンスとしては、軍人の寄稿はなく軍国主義的ではないが、近衛内閣期の外務省外交路線を継承し、特に1939-1940年は「欧米対大東亜」の視点で中国汪兆銘政権を礼賛していることが特徴的である。西園寺公一が随時で署名執筆、40年には紀元2600年にあわせ社説も掲載。ドイツ報道もあるが、英米仏、スイス等に目配り、ナチス一辺倒でもない。ソ連報道も多いが、親ソ連ではない。コミンテルンが経費を出したアグネス・スメドレーの上海『ヴォイス・オブ・チャイナ』や、背後でソ連が動いたとされる米国『アメラシア』誌の創刊と同時期だが、コミンテルンやソ連の宣伝誌というものでもない。
 内容に関する調査研究は、今後の進展を待つとして、版元の創美社とは、戦後、『世界画報』(世界画報社、1946年1月創刊、月刊、B5判)に引継がれ、のちの世界文化社へとつながったとみなすこともできそうだが、同名の雑誌も多々あり一筋縄にはいかない。占領期、『世界画報』は、民主主義とアメリカ文化の紹介をする一方で、戦争の真実を明らかにし、軍国主義を糾弾する写真報道への強いこだわりを見せていたともされる。
 メディア史研究において、新聞社の戦前戦後のあり方を、その連続性からとらえる貫戦史の取り組みはこれまでもなされてきているが、同様に、出版社の戦前戦後のあり方を問う作業は、今後の研究の進展にかかっているといえそうだ。

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