繋がりと別れ

先日、妻と公正証書への署名捺印を行った。後は、妻が離婚届を提出すれば離婚が成立ということになる。先月位からはある程度話し合いも落ち着き、時折事務連絡をするくらいの連絡頻度であった。

ちょうど話し合いが落ち着いた頃からだろうか、小さなことから大きなことまで人との繋がりや別れを意識させられる出来事が頻繁に起こるようになった。

仕事の同期の1人が気を遣ってくれて、毎週のように飲みに誘いだしてくれるようになった。「今はお前と飲むくらいがちょうどいい、居心地がいいんだ」と言ってもらえた。「お前が凹んで変な気を起こさないように毎週誘ってやってるんだからな」と笑っていたが、その気持もありがたく感じる。

職場でも少し変化があったような感じがある。以前から勤務態度が悪い、言葉遣いが悪いといったことは職場ではなかったと思っている(妻に対してこそそうあるべきなのだが)が、端々を振り返ると、カルテを書きながらであったり、なにか作業をしながらスタッフと情報交換をしたりしており、「ちゃんと聞いてるのか?」という疑問を与える聴き方であったと思うし、どこか言葉の端々に「自分のせいではない」というニュアンスが出ていたような気がする。モラハラ更正プログラム以外にも、いくつかの書籍を読んだり、noteで様々な方の意見を見て、少しずつ自分を変える練習をしているところではある。まず、職場のスタッフからカルテ記載や指示出しをしている時に話しかけられたら、①手を止めて、②スタッフと対面し、③相手の目を見て話を聞く、ように気をつけている。それだけだが、何となく以前より仕事がしやすくなっているような感じがある。

月末には、大学時代の部活の同期が5年ぶりに来県し、3人で食事を取りに行った。こちらの家族の都合が大丈夫で、外に出てこれそうなら食事をしたいと、遠くから来てくれたにも関わらずこちらの予定に合わせてくれる優しいやつだった。離婚をすることになる話をして、ネタにされるかと思ったが、真剣に話を聞いてくれた。久しぶりに話して、周囲の知り合いにも結構離婚している夫婦がいることを知った。

そして、別れ。
妻の祖父が亡くなった。何度かご自宅にもお邪魔させていただいたこともあるし、今年の正月は妻の実家で、一緒にお酒もごちそうになった。とても柔らかく、温かいおじいちゃんであった。曾孫にあたる息子のことも何度も抱っこしてくれて、優しい表情で見ていて嬉しくなった。息子も自分からおじいちゃんの所に寄って行ったりしていて、おじいちゃんの優しく包み込むような雰囲気がそうさせているんだろうなあと思っていた。自分と妻が離婚することになっても、まだまだ息子のことを抱っこしてくれるんだろうなと思っていたが、非常に残念だった。

幼馴染の母親も亡くなった。50mくらいしか家が離れておらず、小さい頃から家を行き来して何度も遊びに行かせてもらった。お母さんには、暴れ回って、何度も何度も迷惑をかけて来てしまったが恩返しをする機会なくお別れとなってしまった。自分が帰省していることを知ると、よく声をかけに来てくれていた優しいお母さんだった。11月にも2度ほど帰省していたので、声をかけていればよかったなと後悔したが、遅かった。幼馴染に連絡したが、なんとか気丈に振る舞っていた。自分が一番つらいだろう時期に「まだ、お前は母さんがいるから、大切にしてやれよ」と声をかけてくれる、優しい人だ。支えになるからいつでも頼ってくれと連絡したが、もっと気の利いたことが言えなかったのだろうか・・・

一つ確かなことは、みんな優しい人だったということだ。他者を思いやり、共感することが出来る、配慮に溢れた人たちだ。

これらのことは、離婚を通して人と自分との関係、自分と自分自身との関係への向き合い方を変えようとしているから、この繋がりと別れに対してより敏感になっているのだろうか。もし現在も婚姻関係が続いていて、自分自身や他者との関係に無頓着なままであれば、このことすらも無頓着でやり過ごしていたのだろうか。それとも、婚姻関係が続いていても敏感に感じ取れたのだろうか。少なくとも自分自身や他者との向き合い方を変えないと気づかないことは多かったと思いたい。

人との繋がり・別れ、人と関わることで生じるほんの些細な幸せですら、敏感に感じ取れるようになりたい。



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