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かじり読み読書感想文       『サンダカン八番娼館』山崎朋子   ~不幸のランキング~   

 ところが売春婦は、もともと人間の〈内面の自由〉に属しているはずのセックスを、金銭で売らなければならなかった存在である。労働力をひどい低賃金で売って生きる生活と、セックスまでも売らざるを得ない生活と、どちらがいっそう悲惨であるか!   
  むろん、ひとくちに売春婦とは言うものの、その在りようや境遇は、かならずしも同 一ではない。公娼が無くなった第二次世界大戦後の日本では、売春婦といえばとりもなおさず、街頭で行きずりの男の袖を引く私娼を意味するが、それより前の時代にあっては、売春婦という言葉の内容は複雑であった。俗謡や踊りなどの芸を売物に酒席にはべる芸者を上として、下には東京の吉原・洲崎・新宿などの遊廓に働く公娼や場末の街の私娼があり、さらにその下には、日本の国土をあとにして海外に連れ出され、そこで異国人を客としなければならなかったくからゆきさん〉という存在もあったからだ。そして、これら幾種類かの売春婦たちのどれがもっとも悲惨であったかと問うことは、あまり意味をなさないことかもしれないが、それでもあえて問うならば、おそらく誰もが、それは海外売春婦であると答えるのではなかろうか。
 芸者・公娼・私娼など国内の売春婦は、同じ言葉を話し、同じ生活感覚をもっている日本人が客であった。むろん、なかには明治初期の開港地におけるくらしゃめん〉や、 敗戦後の<パンパン・ガール〉などのような例外もあるが、しかし彼女らが相手とした外国人はおおむねヨーロッパ人かアメリカ人であって、後進国として西洋追随の道を歩みつつあった日本であってみれば、それらの国の男たちを客とすることは、彼女らの現実の意識においては、それほど屈辱的なことではなかったと言えよう。けれども<からゆきさん>たちが売られて行った外国は、ヨーロッパやアメリカではなくて、日本よりももっと文明が遅れ、それ故に西欧諸国の植民地とされてしまった東南アジアの国ぐにであり、そこでの客は、主として中国人やさまざまな種族の原住民であった。彼女らに限って当時の日本人一般をひたしていた民族的偏見から解放されていたということはないから、言葉は通ぜず、肌の色は黒く、立居振舞の洗練されていない原住民の男たちを客に迎えることにたいしては、おそらく非常な屈辱感を味わったにちがいない。そしてこの観方が誤っていないとすれば、近代日本におけるあらゆる売春婦のうち、からゆきさんが、その現実生活において悲惨だったばかりでなく、その心情においてもまた苛酷を 極めた存在であった――と言わなくてはならないのである。

『サンダカン八番娼館』 (文春文庫)

『サンダカン八番娼館』 (文春文庫)P13~14からの引用である。「からゆきさん」の悲惨さを訴えがたいがために、女性の不幸をランク付けしたのは、いかがなものか。さらにその悲惨さを説明するために、東南アジアの人々を蔑視する見方を容認したかのような書き方をしたのは残念としか言いようがない。
 しかし、そういった欠点を差し引いても、なおこの本の優秀さは、目を引くものがあると私は思う。


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