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諦めてから気づくこと

過去を振り返ると自分の悩みというのは、人からどう思われたいかというのが原因だったとように思えます。きっとプライドが高かったのでしょう。人から羨ましがられたり、いいなと思われたがったり、そういう他の人の視点から自分の人生を見ていたような。

今は他人視点ではなく、自分視点で自分を見つめることができるようになりました。最初は心の葛藤がありました。やっぱりお金持ちになれば大きな家に住んで、高級車に乗って、良い気分になれるんじゃないかと。

しかし良い気分になるのに本当に何かを手に入れなければならないのか、そのためにかなりの努力をして必死になる必要があるのかと、もう一方でそんな感情も芽生えてきました。ある意味必死で生きることにギブアップしてしまったところもあります。必死で生きる、それも全然ありだし、人生にはそういう時期というのも確実に必要だと思います。

必死で生き、人が羨む生活をするために試行錯誤したあげく疲れてしまってギブアップする。私にはこの過程が必要だったように思います。もう疲れてしまった。もう楽になりたい。絶対に諦めてはいけないという考え方もあります。それは人によって、状況によってはそうかもしれません。しかし私の場合は自分自身の本当の気持ちというものかえりみることなく、たださまよっていただけでした。だから私は諦めました。

でもそこから肩の荷が下りて、今あるものに目が行くようになりました。今あるものがどれほど大事だったか気づき始めました。そして自分は本当は幸せだったのではいかという新しい視点でものごとを見るようになりました。

すでに今あるものに意識をむけることは、不足感から充足感に気持ちがシフトすることになります。そして人と比較することをやめる最初の一歩になりました。人がどれくらい幸せかは比較することはできません。自分より幸せそうに見える人が不幸を感じていたり、自分より不幸そうに見えるひとが幸せを感じているかもしれません。そんな分からないことに意識を向けるよりも、自分が幸せを感じることの方が大切です。

幸せになるのに何かを達成したり、手に入れる必要はありません。幸せな状態で存在するだけでいいのです。

不足感から何かを求めれば求めるほど不足感を感じる現実を創造してしまいます。逆に充足感を感じれば満ち足りた現実がやってきます。

今あるもの、それがいろいろ諦めてから私が気づいたことでした。

本日もありがとうございます。

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