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旨くも不味くもないカレー屋

外は土砂降りの雨が少し収まってきて、だけど空気だけはますますどんよりして重たくなっている都会の街の夜。眩しいはずの街灯も重たい空気に飲み込まれたかのように、輝きを曇らせている。

今日は白川先輩とだらりと街で飲み歩き、雨だるいし疲れたしそろそろ帰ろうかと思ったけど〆に何か食べたいなと、久々にここのカレー屋に入った。

このカレー屋はたまに訪れるのだが、だいたい来るときは疲れている時だ。一言で言うと古くて汚い大衆食堂みたいな感じ。

メニューはカレーのただひとつのみ。それゆえ、常連のサラリーマンたちは席につくと無言でポケットから小銭をおばちゃんに渡し、秒で出てくるカレーを受け取ってガツガツ食べて、ふらっと出ていくのである。

来るとだいたいサラリーマンが席を占めている。私もまだ20代と言えど、疲れたときはもうおじさんのようなものだから、この空間はおじさんたちに仲間意識が芽生えて落ち着くようになってしまった。

白川先輩とカウンターに並んで座って、ポケットに準備しておいた400円をおばちゃんに右手で渡すと、出した右手にすぐカレーを持たされた。もはや秒もかかってない。回りの人たちはだいたい無言なので、先輩ともポツポツと会話をしながら、1日の終わりで疲れた体に最後のエネルギーを補充するように、半ば機械的にカレーを口へ運んだ。

よくよく味わえばちょっといいレトルトカレーの方が旨い気もするが、今肝心なのは味ではない。疲れた心と体をそっとしておいてくれるような場所で、1日の終わりを、何かで満たして締め括りたいのである。

もぐもぐと食べていると、私の隣に会社の大先輩が座ってきた。といっても別の部署の方で直属の先輩ではない。ただ男臭い熱血営業マンでその名は広く知られており、後輩にも愛情深く接してくるので、仕事では関わったことはないが社内では挨拶は欠かさない、というくらいの仲である。単純に気まずい。

その熱血大先輩も今日はお疲れのようで、顔にいつもの覇気もなく背中を丸くして座っている。すると、私に気づいて声を掛けてくれた。

他愛もない会話すらしたことがなかったが、昼間はあんなに仕事に熱中しいかつい顔で声を張り上げているのに、今は疲れているせいか喋り方も雰囲気もその辺の寂れたサラリーマンと変わらない。同じおじさんだと分かってすこしほっこりした。

目立たず、店の中も静かで活気はないが、いつもサラリーマンで埋まっている。一見すると寂れているのに、実際は働く男たちに愛される店だったりする。私が定期的に来てしまう理由も、きっとこの特別感の無い見た目と、気を張る必要の無い落ち着いた雰囲気なのだろう。

旨いカレー屋はいくらでもあるが、疲れたときの心の置き場となるカレー屋は、旨いカレー屋より価値があると思っている。あからさまに優しくもなく、かといって冷たくもない、訪れた人のその時々の気持ちに入り込むことなくただそっとしておいてくれる場所。ああ、また疲れて少し腹が減ったときは、気づいたらここにいるんだろうな。

そんなことをボーッと考えていたら白川先輩がもう食べ終わって席を立っていた。焦ってカレーをかきこむ。外はまだ雨かあ。

ーーー

たぶん私だけではないと思うんだけども、夢の中だけ出てくる場所ってありますよね。

このカレー屋は私の夢の中でよく出てくるお店で、今朝見た夢のお話でした。
書いてるうちに小説のワンシーンみたいな文章になってしまったので、そのままとりあえず書き続けてみた。

夢の中なのに、間取りとか世界観は完成していて、まるで現実にある場所のように揺らがない場所になっている。このカレー屋も結構夢に出てくるけれども、景色はずっと変わらない。
現実の世界にそういうカレー屋が思い当たるものがある、と言うわけでもなく、夢の中で生まれて、夢の中だけで存在し続ける場所である。

人間の脳はまだごく一部しかその力を発揮してないとよく言われるけども、一体すべて発揮したらどこまでできるのだろうか。ニュータイプみたいに分かり合う力とか、ファンネル使える力とかあるんだろうか。

寝起きでまだ、頭がぽーっとしているときに書いたのでなかなかのマイワールドだ。
妄想が次から次へと出てくる、気の抜けた朝の文章でした。

サポートいただいても自分ではうまく活用できなさそうなので、もしいただいたら東日本大震災等の災害ボランティア活動団体に寄付させていただきます◎