『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』読了メモ
皆さんは「石田梅岩」という人物をご存知ですか?
多くの方が初めて聞いたことと思います。
江戸時代の人で、自らの職業を儒者(儒教の先生)と名乗りながら、仏教や老荘思想を織り交ぜた、すごい思想家です。
今回はそんな彼に迫った本についての読了メモをまとめてみました。
この記事が学びのきっかけになれば幸いです。
まず簡単に、この本のざっくりとした解説をしていきます。
・石田梅岩の背景
江戸時代の儒者と先ほど説明しましたが、彼は長い間「商人」として生きていました。
江戸時代というと、士農工商で身分が分けられていましたが、中でも当時の商人というのは、4つの身分の中でも下に見られていたようです。
その理由は、商人が「何も生み出さず右から左へモノを流しているだけだから」というので、興味深いですよね。
現代でいうところの、「転売ヤー」的なイメージでしょうか。
そんな中、「武士道」ならぬ「商人道」を説いたのが石田梅岩になります。
・石田梅岩の「倹約」
彼の思想の根っこにあるのが、「倹約」と「形によるの心」です。
これは、商人に関係なくとも、経営者に関係なくとも、普段から買い物をする人なら誰にでも関係のある話です。
まず、倹約。これは、節約と似たような印象を持つ方も多いかもしれません。実際私もこの本を読むまでは倹約=節約だと思っていました。
しかし、梅岩によると全く違うそうです。
だとしたら、倹約=ケチということなのかというと、そういうことでもありません。
梅岩にとって「倹約」とは、「私欲ではなく相手や誰かを思いやる気持ちで行動すること」でした。
モノをたくさん買って、あれも欲しいこれも欲しいとなっている状態を私欲というのはわかりますよね。
梅岩によるとさらに、ただ単にお金を使わないだけのケチや節約も「自分のために」するだけなので、私欲に溢れているということになります。
倹約は、「もったいない」精神でモノを余すところなく大切に使うことです。
例えば、魚を普通に食べると2匹必要なところを、隅々まで食べることで1匹で済んだとすると、これは倹約です。
なぜかというと、余った1匹を他の人が食べて幸せになることができるからです。
ケチは自分のためにする節約なのですが、倹約は、人のためを思っての節制なのです。
そのため、時にはお金を使うことも倹約になります。
例えば自分より貧しい人に分け与えるなどは、相手のためを思っての行動なら倹約です。
でもそれが、感謝されたり、他人から褒められたりなどの、見返りを期待しての行動だったとしたら、それは私欲にまみれているので倹約ではありません。
・石田梅岩の「形によるの心」
もう一つの根っこが、「形によるの心」です。
なにやらわかりにくいような気がしますが、今回読んだ本では、「置かれた状況でできることをする」という意味で紹介されています。
現代風に言うなら、「ベストを尽くす」ことになりますが、これって意外と簡単ではありません。
私の場合、できることをできないと言いがちですし、できないことをできると言ってしまうことも多いです。
経営をする上でも、身近な人間関係の上でも、求められることは、
できることはできるし、できないことはできない。
できることならやるし、できないことはやらない。
できないことも誰かと協力すればできるかもしれないし、今できないだけであとからできるようになるかもしれない。
短期的な自分の利益、つまり私欲にまみれずに、できる限りいいことをするというのは、道徳を説くにしてはあまりにも当たり前ですが、それだけ見落としがちということでもあります。
梅岩が与えた影響は、当時の商人だけではなく、現代の日本人の勤勉さ、正直さにも受け継がれていると思います。
以上が、『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』のざっくりとした解説です。
さて、ここからが私の読了メモになります。
思考に参考になるように活用していただければと思います!
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いつも読んでいただき、ありがとうございます。
最後までお楽しみください。
有料部分では、大体こんなような話をしています。
・手段と目的を混ぜない
・企業の真の目的
・つながりがなくなった時代
・バブル崩壊後の消費の形
・一人で生きられないという事実
・スヌーピーの配られたカード
・自分探しの旅の答え
・主体性を持つということ
・山に逃げるのは倹約か
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