好き嫌い2
前にも書きましたが人間の行動の原点はどうやら好き嫌いで間違いないですよね。
それ本当は好き嫌いじゃないのと言えば、いや、そんな事はない、私は大人ですから大丈夫顔にも出しませんよという方も多ございます。
でもわかる人にはわかるんです、ちょっとした仕草や言動に含まれる微妙なニアンスから伝わってくるあなたの本質を「嫌い」「好き」という魂の叫びがね。
この好き嫌いの気持ちを超えての平等・公平な対応は凡人には無理な事と思います、いや、賢者にだって難しいと思います。
社会は歴史は全ての大部分がこの好き嫌いのエネルギーで動き、動いてきたと思います。
そのため争いが起こるのかもしれません。
信仰される方は観音菩薩様や信仰対象の方々に願い事はしますが、真心を理解し、その壮大なる御慈悲の心を得ようとはしないものです。
信仰とは不思議なものや超能力を得て選ばれた人になるのではなく、この真心を知りその境地に近づいていくものだと私は考えています。
人は他の動物より優れた知能を持ちながら、いや残念ながらという方が正解かも、自分の姿を客観的に見ることができません。
そのため人や他のものに原因を求めます。責任転嫁や感情的に攻撃をしている自分の姿は見えないのです。またよっぽどの友人や同等の仲間で無かったらその事を指摘してくれる人物はおりません。そのため益々原因を外に求めていきます。
おれがこうなったのも、あいつがいたために、
くそ、くそ、くそ・・・
原因が自分以外にある社会は表面には見えなくても怒りに満ちています、今の日本もまさにそうだと私は思っています。
全て原因は自分意外です。
魂から生まれる感情ですから好き嫌いは素直な気持ちであるかもしれません。しかし充実した人生を送るためには他の人々との良い関係での共存が不可欠です。
現代の方々が物質的満足を得ても精神的満足を得ないのはまさにここです。原因を外に求めるゆえです。
自分を客観的に見る事が出来る優れた方法が日本にはございます。「内観」です。自分の中に答えや原因を探し出すために自分自身と自問自答する方法です。
この内観をストレッチングするように日々訓練していくことで、初めて自分を知り、他人を知り、
そして、観世音菩薩の真心に近づいていけると私は考えています。
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