見出し画像

責任

責任:用語的には責任とは何かに対して応答することと記されていますが、一般的な使われ方としては原因の元となるものとして使われているように思います。


国の責任とか総理の責任とか会社の責任とか何か問題が生じて訴訟などになった場合この責任を明らかにするという行為は極めて大切なものです。


さてスピリチュアルな見地からこの責任を見ると、実は全ての事において責任は自分にあるんですよ。

誰々の責任ではないのです。全ては自分自身、この事を自覚すると生き方が凄く軽くなります。


人間とは本来弱い生き物です、また、卑怯でずる賢い性質を持つ生き物でもあります。


だから問題が生じた時その原因を責任という名の元に人に転嫁します。

責任転嫁です。


社会が悪い、学校が悪い、母親が悪い、父親の責任だとか友達の責任だとか。


こういうのが口癖の人はいつまでも同じ事を繰り返します。私には車輪の中を走り回るモルモットの姿として映ります。


責任が常に他にある方は反省や懺悔の心は程遠い事なのでしょうね。


特に親は子どもに関して責任を他のものに転嫁してしまいます。これでは子どももいつまで経っても成長しません。


一番私が悩むのはご結婚の相談で来られる方、ある方は年老いた母親と30代後半から40代の男のお子様。


話しを聞くうちにご縁が無いのは本人だけでなく母親にも多分に原因がある事が判明します。


女性はそんな乳臭いマザコンの息子なんか相手にするはずないわよ、私の心の中の正直な声です。


さて、ここからが大変です、どういう言い回しで母親から巣立ちなさいとお子様に伝え、母親には子離れしてくださいと言うか。


終わった後の疲労感は半端じゃありません。(-_-;)


そのことをお二人が自覚しないとご縁の追い風は吹きませんもんね。( ´∀` )


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?