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自由エネルギー計算のslow-growth法とfast-growth法

平衡系の分子シミュレーションでは,状態間の自由エネルギー差を計算することが主なトピックの一つになります。様々な自由エネルギー計算手法が今日に至るまでに提案されていますが,論文を読んでいると良くお目にかかる「slow-growth法」と「fast-growth法」の内容や違いを説明したいと思います。

ジャルジンスキー等式

「slow-growth法」と「fast-growth法」の説明の前に,導入としてジャルジンスキー等式を簡単に紹介します。
状態Aから状態Bに変化する際の自由エネルギー変化を考えます。

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ジャルジンスキー等式によると,自由エネルギー変化は状態Aから状態Bに変化するために要した仕事Wを用いて,

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が成立します。ここで,<...>は状態Aから状態Bに変化するために要した仕事に関して平均を取ることに意味します。

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重要なポイントは,状態Aから状態Bへの変化が非平衡過程であっても成立することです。

ハミルトニアンを用いた仕事の表現

状態A,Bに対応するハミルトニアンをそれぞれH_A,H_Bとし,H_AからH_Bへの変化をパラメータλで記述することを考えます。H(λ)はλに対して連続であるとします。

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次に,MD時間τのMDシミュレーション中にλを0から1に変化させていく状況を考えます。「状態Aから状態Bに変化するために必要な仕事」=「ハミルトニアンをH_AからH_Bに変化するために必要な仕事」=「λを0から1に変化させるために必要な仕事」のため,

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のように表現することができます。

slow-growth法

slow-growth法はλ: 0→1を準静的過程と見なせるようτをできる限り長くすることを考えます。τ→∞の極限において,

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が成立することを考慮すると,自由エネルギー変化は

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となります。
0→τを更にN個に分割することを考えます。

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τ_{i}→τ_{i+1}の時間でH(λ)の平衡サンプリングを充分に実行できる程度にλの変化を遅くすることにより,

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が(数学的な厳密性は置いておいて)成立することが期待されます。
まとめると,

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となり,熱力学積分法の表式に帰着します。

fast-growth法

fast-growth法では,非平衡過程となることを前提にτを短く設定し,多数のMDシミュレーションからジャルジンスキー等式を用いて自由エネルギー変化を求めることを考えます。

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τを短くするほどNに対する収束性は悪くなることが懸念されますが,fast-growth法の良い点はW_{τ, n}の計算を完全に独立して実行できることが挙げられます。そのため,スパコン等の大量CPUを同時使用できる環境であれば,たとえ計算速度の遅いMD計算エンジンであったとしても効率良く自由エネルギー計算を実行することができます。
また,steered MD等の非平衡MD計算結果から平均力ポテンシャルを算出する際においてもfast-growth法の考え方が適用されます。

自由エネルギー摂動法

τ→0の極限において,ジャルジンスキー等式は

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となり,自由エネルギー摂動法の式に帰着します。
この式だけ見ると,状態Aのサンプリングをひたすら行い,得られたサンプリングに対してH_B - H_Aの指数平均を評価すればよいように見えますが,実際の興味ある殆どの問題において精度を出すことができません。そのため,H_A → H_Bの変化をパラメータλを用いて複数stepに分割することを行います。
slow-growth法(熱力学積分法)やfast-growth法と同様に結局はパラメータλによるハミルトニアンの変化を扱うことになるのですが,前者はMD計算中にλが変化するのに対して,自由エネルギー摂動法の場合はλを固定したMD計算を複数実行するという違いがあります。また,収束性の観点から,熱力学積分法も実践的にはλを固定した複数のMD計算を実行する形でサンプリングが実行されることが多いみたいです。

参考文献

 1. D. A. Hendrix and C. Jarzynski, J. Chem. Phys. 114, 5974 (2001)


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