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手はかけずとも目をかける、という自立

歯科医院に来院される皆さんを見ていて、
子育てにこれが正しい、という方法は無いような気がします。

みんな自分の子育てをやるしかない、という感じの方がしっくり来ます。

Aちゃんに合うことが、Bくんには合わないとか…

自身は子供を三人育て、末っ子の子育ても
もうすぐ終わるところです。
しかしどの子にも同じような子育てはできませんでした。

ちなみに私は四角四面に同じように子供を調教し、これだったら子供は言うことを聞くようになる、勉強するようになる、というようなマニュアル子育てはあまり好きではありません。

意味もなく怒鳴ったりビシバシ威圧し、何も悪いことをしていないのに親のやりたいように言うことを聞け!とそうやっていたら子供は萎縮するでしょう。

また子供を手のひらで転がすような子育ても首をかしげます。
そうやって子供をだましだまし親側の意図に寄せる方針に疑問を感じるからです。


人は誰かに「その子育て間違えてる」と言われることに違和感を感じます。
それは人はそれぞれの性質に成育していいという、動物の神様からのヒトへの許可ではないでしょうか。

ですので「自由に子育てしたい!」と思う皆さんも多いことでしょう。
しかしながら、子供達が行く先には社会があります。
短い距離で言えば園や学校。
そこは小さな社会です。

ですのでそれぞれがそれぞれの社会に自立して行かなければならないことが多いのが現実でしょう。
親御さんの思い通りにはならないものです。

その自立のためには親御さんが子供の背中を少し押すサポートが必要になります。
しかしながら2-3歳のイヤイヤ期ごろに、子供さんのほうにリードを引かれて言うことばかりを聞いてしまう親御さんをよく見かけます。
完全に子供さんが単にわがままになってしまい親御さんを操ってしまっている感じです。
親御さんが2-3歳の頃まで命を守って育ててきたにも関わらず、です。
それがその後もずっと続いている関係性もよく見かけます。

「叱らない褒めるだけ育て」
「褒めすぎ育て」
が流行しているからかもしれません。


いつも繰り返しますが親御さんは

○健康に関すること、衛生面
○危険なこと
○周囲の人を傷つける言動
○社会のルールを守らない行動


などお子さんが誤ったことをした場合は叱ったり諭したりしていいのではないでしょうか。

もちろんただ怒鳴るようなことがないようにその子に合ったやり方で。

それだけは準備しておくと、お子さんは社会に少し出ることができるのではないでしょうか。
社会とは繰り返しますが、一般的な社会ではなく、それぞれの小さな社会を意味します。
お子さんと親御さんだけで通じていたルールは、そのそれぞれの社会では通じないことも多いのです。
それには社会目線を増やしていくということです。
社会的に周囲的にはどうなのか、と視野を広く持つことです。


そのためにそれぞれの場で自立に向けて親子同士で少しずつスロープを上がるよう努めていくしかありません。

人にはそれぞれ性質がありますから、
一遍通りということできず、多様な方法で、ということになります。

何故そのスロープを少しずつあがることが必要かというと、子供さんはいつまでも親御さんの手の内にいることができない、またお子さんの主張がいつまでも通る環境ばかりだとは限らないからです。

当然、そのスロープを昔のスポコンみたいに行けということは間違えています。
散歩する様に前に進む、という感じになるでしょう。

お子さんの歩みには後ろからその小さな背中を親御さんが少し見守り、少しずつでも押してあげて欲しいと思います。
先にお子さんから言うことを聞かされるばかりでなく。
ひと呼吸の冷静な見守り時間は結果それは親御さんがお子さんにひきずられないことに繋がります。
お子さんの叫びへ常に密着してあやすことばかりになるより大切なことです。
それはなにも上から目線になることではありません。
一歩引いてお子さんが自分の力で冷静になれるかを見守ることです。

今まで見た多くの親子さんでお子さんの成長に感心させられた方々は、
大体親御さんが後ろから見守り小さくとも背中を押しているか、子供さんの歩みの前方で選択肢の旗を選択しやすいように静かに掲げていらっしゃいました。

いろいろな特別な性質、障害をお持ちの場合であっても、親御さんの
「手は出さずとも目をかける」
というそれは、大切な点になっていたと20年間を見つめて思うのです。

どんなお子さんにも本当に言えることだと実感を持っています。

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