お金のない世界、移行期の実践
お金のない世界の実現を、声高々に叫ぶのはカンタン。
政府にお金のない世界の実現をお願いするのもカンタン。
けれども現実は一向に変わらない。
どのような理想であれ、夢を見て大いに語るのはカンタンであるが
実現させるにはエネルギーが要る。知恵が要る。実務能力が要る。
現在の社会制度に大きな摩擦を起こすことなく(戦略的な摩擦はよいかもしれないが)、現実をいかに変えていくか。しかも時間がない。地球は滅亡にむかって進んでいる。素早く軌道修正する必要がある。
けれども、革命を起こすような方法は、貢献によって成り立つお金のない世界の理念とは、程遠い。
旧制度から新制度へ瞬間的に切り替えるのは現実的でない。技術的にはスグに可能であっても、人々の意識・習慣・観念を変えるには時間がかかるし、大きな事件・災害による九死に一生を得るような体験がなければ変わらないのが現実である。
しかも、お金のない世界だなんて!この数千年に一度あるかないかの、全人類を巻き込んだ一大イベントといえる。
移行期。
これがテーマとしてあげられるべきである。理想と現実をつなぐ橋をいかに構築するのか?その橋を安全に渡れるようにするには?
そう、わたしたちが真に注力すべきは、お金のない世界を具体的にイメージするのと同時に、お金のない世界を実現化させるための具体的な手順を考え、実践なのである。
語るだけ、イメージするだけでなく、実践。
実践と試行錯誤の積み重ねが、橋を構築するレンガの役目をする。
では、この移行期の実務をどのように進めるべきか?理想論では、突破できない現実がある。熱く理想を語りながらも、冷徹な現実主義者となって、着々と進めていく。そのようなしたたかさが要る。
既存の仕組みを否定しては余計な労力がかかる。
既存の仕組みを拡張・活用しながら、実現させるのが、まさしく現実的といえる。
そう、当初のメモに書いたとおり、飛行機(お金のない世界である、新しい仕組み)が飛び立つにも、車輪(古い仕組み)による加速・離陸が要るのである。
飛行機は、移行期をあらわすシンボルである。
離陸するまでは
車輪という古いシステムから推進力を得て
そこから、エネルギーをつなぎ合わせるように
翼という新しいシステムによる推進力によって
大空へと飛び立つ。
わたしたちは飛行機が離陸するかのように移行期を構築する必要がある。
移行期は、飛行機のように、巧みに新旧2つの仕組みを使う。
どちらか一方を礼賛し、どちか一方を非難するやり方では、飛び立つことはできない。
新旧2つの仕組みを使うとは、これまでどおりお金を稼ぎつつ、新しいお金のない世界を同時に構築していくこと。
新旧2つの仕組みを動かすわけであるから、わたしたちはこの移行期に関しては、2倍働く必要がある。あるいは2倍以上かもしれない。とても充実した(大変な!)日々になることだろう。
お金のない世界では、たしかに一人当たりの仕事量は減る。それは飛行機が離陸したあとの話。飛行機でも、離陸前というのは、一番エネルギーを使うものだ。
新旧2つの仕組みを動かすとき、この移行期のお金の役割というのは、旧制度では、同じ効力を持つ。しかし新制度のもとでは、効力を持たない。
ある意味、移行期のお金は「外貨(準備金)」に似た役割となる。
といっても、仰々しく考えなくても大丈夫。
いまでも家族のなかではお金のやり取りはしないが、家庭の外ではお金を使う。このときお金は家族にとって外貨のように機能している。
その家族とお金の概念を、コミュニティーにまで拡張し、ゆくゆくは地球上すべてに拡張する。
そして、外貨が必要のない世界にすること=お金のない世界となる。
お金のない世界の実現は、政治運動ではない。
これは科学の実践である。
貨幣制度の競争社会と
お金のない世界の社会と
どちらが社会資源を効率よく運営できるのか?
明らかに貨幣制度の競争社会のほうが、ムダが多いはずである。
これはエネルギーの科学である。
客観的に合理的にお金のない世界の有用性を説明するには
スピリチュアルな側面(助け合い・協力・貢献・愛・祈り)よりも
科学的な側面(数値・予測・計画)によるアプローチが有効である。
もちろん、スピリチュアルな側面に触れたくなる誘惑はある。
個人的には、はじめに語りたいところだ。
ただお金のない世界の有用性を科学的に証明していくことも、新制度へと移行しようかどうか考える人たちの大いに助けとなる。それもまた愛情の1つなのである。
というのものの、スピリチュアルな側面と科学的な側面は分けて考えるものではない。それは同じ一本の道のうえにある。出所は同じである。
このように全方位的なバランスをもってお金のない世界を構築していくことが、(ええじゃないか運動のような)一時的な流行で終わることなく、今後、永遠と続くであろう、お金のない世界の礎となる。