お金のない世界の土台となる指標(メモ書き)

国破れて山河あり。

お金がない世界といえども、地球の資源はそのままある。

「地球資源」をいかに活用して、新しい文明を築いていくのか。

今も昔も、地球の人類社会が混乱していて、地球資源にいたっては、現在回復不可能になるまで破壊をしつづけている。

それは現在の貨幣経済が原因であるのは周知の事実。過度な競争による資源の浪費(不良在庫、競争による疲弊・失業、儲け主義による有害な商品が日々生み出されている)は目に余るものがある。

貨幣経済に替わる新しい仕組みは、資本主義・共産主義・社会主義といった、主義主張ではなく、科学的なアプローチとなる。

科学的とは、計画性のこと。予測数値に基づく計画生産を基盤とする。


その指標となるものを考察するため、、、

まずは

1.一人が一年間で「生存」するのに必要なコストを100とする。


ここでいうコストとは、お金ではなく、地球資源を由来とした直接的なコストである。

生存のために必要な衣食住もろもろを含めたものである。

生存するだけでは、文明は発展しないし、豊かさは享受できない。

休まず仕事をして、やっと生存できる衣食住が手に入る。人生を楽しむ余力はここにない。仕事:余暇=10:0の状態である。


そこで、次に

2.一人が一年間で「快適な生活」をするのに必要なコストを300とする。

快適な生活と十分な医療、おいしい食事に、レジャーもある。

ただし、なにかしら仕事をする必要があり、生存のための義務が課せられるレベルにある。辛くはないが、仕事の量はそれなりにある。

仕事:余暇=7:3程度。


理想的であるのは次である。

3.一人が一年間で「文明的な生活」をするの必要なコストを500とする。

仕事:余暇=3:7程度。

仕事と余暇の割合が逆転しているが

ここまでくると

生存のための活動は義務ではなく、喜びとなる

たとえば農業は生存のためというより、趣味の楽しみのようになってくる。


いま、地球人類は、どの国家であっても、1~3の人が混在している。

しかし、いまの地球人類のもつ科学技術をもって、地球資源を活用し、

みんなで協力をすれば

すべての人を3に引き上げることは十分に可能である。

十分に可能であるのに、それが実現できていない。


それは、自分さえよければいいという、エゴの気持ちからやってきている。

そのエゴを焚きつけているのが紙幣経済。競争社会である。

競争社会は、弱肉強食という動物の行動原理に基づいている。

しかし、わたしたちは人間である。

たとえ動物から進化したにせよ、動物的なふるまいから卒業する時期にきている。

人は1から始まり、3を目指すわけだが

その原動力となるのは

いまは

個人のエゴであり、紙幣経済であり、競争社会である。

生き残れない人のために、福祉は用意されているが

それは、地球資源、社会資源を何倍にも浪費している。

みんなバラバラに自分が得た資源を使っている。

社会資源を集約しきれないために、3へ到達するのをより困難にしている。


お金のない世界の原動力は、貢献である。

競争ではない。

すべての人が1つの社会基盤を作るために、チカラを結集させる。

つまり、すべての人が3の文明的な生活をするために

一人ひとりが1つの社会基盤を構築し、維持し、強化するためにエネルギーを注ぐ。

そのように漏れなくエネルギーを1つの社会基盤に注ぐことで

わたしたちはこれまで体験したことのない

豊かさと科学の進歩を可能とする。


次は、競争社会ではなく

貢献と協力によって

1つの社会基盤にエネルギーを集約させるメリットについて

具体例を挙げていきたいと思う。