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ヒマラヤを歩いた時の話 その3

ヒマラヤの奥地を、6、7000m級の山々を眺めながら、村々を渡り歩くトレッキング。そんな冒険心くすぐられる言葉に導かれ、ネパールのヒマラヤでアンナプルナ・サーキット・トレックを歩いた時の話(その3)。

DAY7:ヤク・カルカ→トロン・ハイ・キャンプ

空は気持ちよく晴れていた。ロッジで朝食を食べ出発する。道は谷の奥へと続き、緩やかに上りとなっていた。

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いくつか村を通り過ぎた。やがて谷が小さくなり、小さな橋を渡り対岸への道へと続く。

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トロン・フェディに到着した。いくつかロッジがあった。村というよりはキャンプだった。ここに泊まってこともできたが、翌日が最大の難所であり、ハイライトでもあるトロン・パスを含む長い一日になる。そのため、少しでも翌日歩く距離を縮めたくて、次のハイ・キャンプまで行くことにした。

ハイキャンプはこのフェディよりも数百メートル高いとこにある。フェディでさえ標高4420mあり、ハイキャンプは4600mの高所にある。この数百メートルの差でさえ高山病のリスクは高まる。ガイドブック曰く、「ハイキャンプまで行って、高山病でフェディまで引返す人がいる」ということだった。僕はこれまで高山病の症状は出ていなかったし、薬も飲んでいた。僕はハイキャンプまで行くことにした。

ハイキャンプまでの道は急登だった。つづら折りになった道をゆっくりと登って行く。何人かハイカーを追い越したが、皆きつそうに登っていた。

ハイキャンプには1つのロッジしかなかったが、部屋はいくつもあるようだった。僕はドミトリーにチェックインした。荷物を置いて、近くの丘の上まで行ってみることにした。

頂上までの道は足元は雪で覆われており、慎重に登っていく。頂上からは遠くまで見渡せた。カラフルなタルチョが風になびいていた。

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午後はロッジのダイニングで過ごした。晴れてはいたが、外は寒かった。ダイニングには多くのハイカーが集まっていた。

次第に日が暮れようとし始め、ますますハイカーが多くなった。皆、ストーブに火が着けられるのをまだかまだかと待っていた。

ストーブに火が灯されハイカーが続々やってくる。ダイニングは人で溢れていた。僕は壁際から部屋を眺めていた。ほとんどが欧米人ハイカーで、彼らのネパール人ガイドやポーターもたくさんいた。

隣にはネパール人のガイドがいた。顔立ちが日本人っぽくて親近感がわく。きっと向こうも「こいつネパール人っぽいな」と思っているに違いない。僕が日本人だと言うと、「姉が日本に住んでいる」と言ってうれしそうにしていた。

僕は注文していた夕食を食べに空いた部屋へと移動した。

DAY8:トロン・ハイ・キャンプ→ラニパウワ

まだ暗いうちに目を覚ました。多くのハイカーが同じように朝早く出発の準備をしていた。誰もがこの日は長いハイキングになることを知っていた。

ダイニングで朝食を食べて出発した。まだ暗かったが、空がほんの少しだけ明るくなり始めていた。この日も天気は良さそうだった。

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周りは雪に覆われていた。陽が当たり始め、白い雪が照らされると周りが急に明るくなった。

道は緩やかだった。目の前に丘が現れるたびに「あれがトロン・パスか?」と興奮するが、何度もがっかりさせられた。ただひたすら歩いていく。

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やがて視界に前に小さな小屋が見え、人が集まっている場所にでた。トロン・パスだ。今度は逆に「もう着いたの?」と拍子抜けだった。

小屋の前にはここが標高5416mであることを示す看板があり、「おめでとう!」と書かれていた。看板の周りには無数のタルチョや旗があくくりつけられていた。もはや旗として風になびくこともできないほどだった。

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僕は少し離れた所にザックを降ろし、景色と歓喜しあう人々を眺めていた。

まだここが今日のゴールでない。これからが大変だった。ひたすら降って行く道だった。正直登りよりもきつかった。

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ラニパウワの村に着いた時はまだ昼になていなかった。ラニパウワには多くの人がいた。ヒンドゥー教の有名なお寺が近くにあることから、ハイカーでない人たちも多くいた。通りには土産物屋がたくさんあり、急に「俗世界」に降りて来た気分になった。なんだか少し寂しい気分になった。

宿をいくつか周ってみたものの、どこもいっぱいだった。ようやく見つけた宿は人が少なく、人気のない宿のようだった。通りの反対側には欧米人がたくさん集まるカフェがあって賑やかな声が聞こえて来た。

午後は村の周辺を散策した。山の方から続々とハイカーが降りてくるのが見えた。

DAY9:ラニパウワ→ジョムソン→タト・パニ

この日はラニパウワからジョムソンまで歩いた。そしてバスに乗りタト・パニを目指した。

ジョムソンまではほとんど道路を歩かなければいけなかった。舗装もされたいたが、車はほとんど通らなかったのでのんびりと歩けた。

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カグベニという村に着いた。どこか良さげなカフェがないか村を歩き回ったが、思ったような場所がなく先に進んだ。道路を離れ川沿いを歩いた。

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ジョムソンの村に着いてバス乗り場を探した。するとそれらしきバスが今まさに出発しようとしていた。近くの男に「あれはタトパニ行きか?」と聞いたら、「そうだ」と言うので走って飛び乗った。

結局僕はチケットも持っていなかったので、途中で次のバスに乗り換えさせたれた。何も急いでバスに飛び乗ることはなかったのだ。バスは谷のでこぼこで曲がりくねった道を進んでいった。

バスから雪をかぶった山が見えた。きっと有名な山なのだろう。近くに座っていた欧米人たちが指をさし色々と話していた。中年の彼らはまるで少年の頃から夢見ていた山を見るように熱を持って話していた。なんだか羨ましかった。僕もいくつになっても夢見た景色を求め、世界を旅し続けたいと思った。

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タトパニで降りたのは僕だけだった。バスはさらに進んでいった。タトパニは前のネパール旅行の時も来た場所だ。タト(熱い)パニ(水)、すなわち熱い水=温泉がある場所として有名だった。もちろん温泉を目指して来たのだ。長いハイキングの後に温泉に入らないわけがない。

宿を探してチェックインし、荷物を置いて温泉に向かった。川沿いにある、一見したら小さなプールで、水着着用の温泉だ。しかし温度は温泉の国日本からやって来た旅人を満足させるだけの熱さがあった。地元の人や欧米人観光客がたくさんいた。

夕食はロッジで食べた。いつもより少し豪華な食事にした。と言ってもいつもより少し豪華なダルバートだったが。そしてビールを一杯注文した。歩ききった自分へのご褒美だ。

DAY10:タト・パニ→ポカラ

この日はポカラまでバスで移動するだけだった。道は悪く、時間がかかった。次第に空気が蒸し暑くなってきた。10日ぶりのポカラが騒がしく思えた。


かくしてアンナプルナ・サーキット・トレックが終わった。雄大な景色を歩く、夢のような日々だった。正直、楽な旅ではなかったけども。

いつかまた同じ道を歩きたいと思う。でも今度はもっと年をとってから、誰かと一緒にゆっくり歩きたい。

(歩いた時期:2019年11月上旬)

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