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南インドはメシがうまい

ゴア、ハンピ、チェンナイ。北インドとはどことなく雰囲気が違う南インド。そして何よりメシがうまかった。そんな南インドを巡る旅の話。

ゴアへ

僕は夜明け前に目を覚ました。予定では列車がゴアに着くのは1時間ほど後だ。デリーを経ったのは前々日の午後だった。僕は40時間近く列車に乗っていたことになる。

ほとんどの時間、僕は上段のベッドの上にいた。タブレットで本を読み、飽きたら寝るというのを繰り返していた。周りの人も同じように、携帯をいじるか、寝ていた。お腹が空いたら、持っているビスケットを食べるか、通路を通る売り子からサモサやビリヤニ、チャイを買った。粉ミルクを溶かしたであろうミルクにティーバッグを浸けただけのチャイはまずかった。

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列車は定刻になっても走り続けていた。グーグルマップで現在地を確認すると、まだゴアにはほど遠かった。

結局列車がゴアのマルガオン駅に着いたのは予定より2時間過ぎた朝の7時だった。すっかり太陽が昇っていた。僕は駅を降り、目の前の道を他の人と同じように歩いて行った。大きいバックパックを背負っている僕を見て、オートリキシャのドライバーが声をかけてきた。僕はバスに乗るつもりだったので断った。デリーに比べてしつこさはなかった。

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空気もデリーとは違った。湿気を含んでいて、生暖かい。植物は青々と生い茂っており、ヤシの木は南国にきたことを実感させる。

僕はバスターミナルに行くバスを探していた。僕はパナジというゴアの中心都市に行きたかった。

すると目の前にバスが停まっていた。バスターミナルまで行くという。僕はバスに乗り込んだ。席は全て埋まっていて、僕は通路に立たなくてはいけなかった。通路にも人がたくさんいた。

バスターミナルでパナジ行きのバスに乗り替えた。席には座れたが、バスはすぐに満席になった。僕は窓からの景色を眺めていた。店の看板がヒンディー語とは違うようだった。丸みを帯びたタミル語だった。1時間もせずバスはパナジに着いた。

パナジでミールスと出会う

僕がゴアに来たのはビーチでのんびりするためではない。ハンピという所に行きたかったのだが、せっかくだからゴアがどういうものか見ておきたかったのだ。正直、ビーチでパーティーするなど僕の性分ではない。

パナジのバスターミナルを降りて旧市街へと向かった。ゴアはかつてポルトガルの植民地だったため、その名残がある。旧市街の家はカラフルでヨーロッパ感があってインドとは思えなかった。

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僕は旧市街で宿を探し始めた。目を付けていた宿は予約でいっぱいだった。他の宿も見てまわったが、思ったよりも高い。もう安い宿は無理だな、と思って目についた宿に入る。するとそこの宿は手頃な値段だった。

それでも少し値段が高かったので、受付のおばちゃんに交渉してみた。無理だった。インドのおばちゃんに勝てるわけがない。僕は言われた値段で泊まることにした。

おばちゃんはこの宿のオーナーのようだ。僕が日本人だとわかると、「日本に旅行で行ったことあるよ」と言っていた。僕は物価の安いインドで、さほど大きくもない宿を経営する人が海外旅行、しかも日本に行けるのかと驚いた。おばちゃんは笑顔を見せず、淡々と話す人だった。でも感じがよく、好感が持てた。

僕は荷物を部屋に置いて、パナジの街を散策することにした。僕はこの街のシンボルである教会へと向かった。

真っ白な教会だった。周りにはたくさんのインド人観光客がいた。ゴアといえばヒッピーの聖地のイメージが強いが、インド人にも人気があるらしい。

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教会から離れ、街中を歩いてみる。デリーほどのごちゃごちゃ感と汚さはなかった。物乞いもおらず、きちんとした身なりの人が多かった。誰も僕から金を巻き上げようと話しかけてくる輩はいない。ゴアを含む南インドは教育に力を入れていると聞いたが、なるほど、そういう雰囲気があった。

お腹が空いたので、適当に食堂に入った。ミールスと呼ばれる南インドのカレー定食を注文した。僕はミールスは食べたことはなかった。デリーなどの北インドではいつもタリーと呼ばれる定食を食べていた。出て来たプレートは見た感じタリーと同じだった。ごはんとナンに数種類のカレーがついていた。僕はカレーをご飯にかけて混ぜ、口に入れた。

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うまい、うまいぞ。カレーが北インドのものとは違い、スパイスが効きすぎずまろやかで食べやすい。南インドはメシがうまいと聞いていたが、確かにうまい。その日から南インドにいる間、僕はミールスの虜になっていた。

翌日、バスでオールドゴアやビーチに行ってみた。オールドゴアは観光客で溢れていた。インド人だけでなく、世界各国から人が来ているようだ。

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ビーチもまた人で溢れていた。たくさんのインド人が海水浴を楽しんでいた。僕が想像していた静かなビーチではなかったので、早々にパナジへと引き返した。その日の夜のバスで、ハンピへと向かった。

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ハンピのドーサ

僕が南インドへ来たのはハンピへ行きたかったからだ。巨石がゴロゴロと転がるその風景を一度目にしたかったのだ。そして、ハンピは期待を裏切らず巨石だらけだった。僕は数日ハンピに滞在し、迷路のような巨石と巨石の間を歩いてまわった。

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ハンピは小さな村だ。村にはいくつも宿があったし、食堂もあった。観光客も多い場所なので観光客向けの店もあったが、僕はあまりそういう場所を好まない。路地を歩いていると小さなお店があって、店の前に鉄板が置いてあった。どうやらここではドーサが食べられるようだ。

ドーサも南インドの食べ物として有名だ。「甘くないクレープに、野菜のカレー煮が添えられたもの」とでも言うべきだろうか。言葉で見るとさほど美味しくは感じないかもしれない。

僕は定番のマサラ・ドーサを頼んだ。店のオヤジが鉄板に火を入れ、手際よくドーサを焼く。さほど時間もかからずテーブルに運ばれてきた。僕はドーサをちぎって添え付け野菜のカレー煮と一緒に口に入れた。

うまい。クレープほどの柔らかさがなく、外側がパリッとしているドーサとカレーがよくあっていた。まさかこんなところでこんなにうまいドーサが食べられるとは思っていなかった。「このドーサを食べるためにもう一泊してもいい」と思ったほどだ。しかし僕は次の日にハンピを去ることにしていたので残念だ。

チェンナイのミールス

ハンピから北部へ移動する際にチェンナイに2泊した。特にチェンナイで見たいものはなかった。ずっと雨が降っていて、あまり動きまわりたい気分でもなかった。

それでもビーチを歩いたり、旧市街を歩いたりした。チェンナイはなかなか大きな街だった。

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昼頃に目についた食堂に入った。表の看板にはバナナの葉にのったミールスの写真があった。伝統ではミールスはバナナの葉の皿で食べるようだ。僕はその写真につられて入って行った。

僕は席に座りミールスを注文した。テーブルに大きなバナナの葉っぱが置かれる。しばらくしておばちゃんがやってきて、バナナの葉の上にご飯を置いて、惣菜を置き、スープをご飯にかけてくれた。スプーンはいるかと聞かれたが、僕は首を横に降った。これは手で食べないわけには行かないだろう。

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ご飯とスープを手で混ぜ合わせ口に含む。うまい。辛くない素朴なカレーの味が口の中に広がった。僕はご飯と他の惣菜を混ぜ合わせ、それぞれの味を味わってった。しばらくするとおばちゃんがやって来てご飯やカレーのお代わりをくれた。僕はお腹いっぱいになった。

南インドはメシがうまい。僕はそう確信した。翌日には南インドを去るのが惜しかった。僕は基本的に食べ物を求めて旅することはない。しかし、南インドはそのためだけにまた来てもいいと思わせるものがあった。

ああ、こんなこと書いてたらミールスが食べたくなってた。

(南インド旅行:2019年10月中〜下旬)



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