極寒の桃源郷へ
「桃源郷」、「ナウシカの谷」と形容され、旅人を惹きつけるパキスタンのフンザ。そんな憧れの地にようやくたどり着いたのは冬だった。寒さとトラブルに見舞われたパキスタンへの旅の話。
フンザへ
僕はバスの車内灯の明かりで目が覚めた。どうやら休憩をとるようだ。外は少し明るくなっていた。前日の夜にラワルピンディを出発したバスはいつの間にか急峻な山に囲まれる谷を走っていた。バスは道路沿いのレストランの前で停まった。外へ出ると寒かった。
僕はフンザへ向かっていた。旅人憧れの地。バックパッカーでアジアを旅する人なら一度は聞いたことがあるかもしれない。僕もバックパッカーを始めた時から行きたい場所だった。
そしてついにパキスタンへ入国したのが11月の下旬だった。これから冬に向かおうとしていた。季節外れとはわかっていたが、フンザを一目でも見たかった。インドから陸路でパキスタンに入国し、すぐさまフンザへと向かった。
短い休憩が終わり、寒さから逃げるようにバスへと乗り込む。バスは再び走り始めた。道は綺麗に舗装されていた。これが中国の援助で作ったカラコルムハイウェイだ。道はこの先中国まで続いている。
数時間走っただろうか。ハイウェイを登っていたバスは急に路肩に停まり、エンジンを切った。何かトラブルのようだ。ドライバーとスタッフがバスの車体を確認する音が聞こえて来た。
するとしばらくして車内の乗客がどよめき始めた。僕はスタッフに聞くと、「バスが壊れたので代わりのバスを待つ」と言う。僕がどれくらいかかるか聞くと、冷静に「数時間」と返してきた。僕はため息をついた。今日中にフンザに着くだろうか。このバスは途中のギルギットまでしか行かない。フンザで別のバスに乗り換えなくてはいけないのだ。
このバスは政府が運営するバス会社のものだった。お世辞にもこの道は治安がよくない。「政府系のバスなら何かあっても大丈夫だろう」と考えたのだ。安全かもしれないが、だからと言って時間通り着くわけではないのだ。
僕は他の乗客と共に外に降りた。何人かは通りすがりの車をヒッチハイクしていた。「僕も乗れないだろうか」とバスのスタッフに掛け合うと、車を停めて聞いてくれた。しかしダメだった。あまり外国人は乗せたくないのだろう。
しばらくするとフンザの方向からバンがやってきて、スタッフが停めた。交渉して僕らを乗れるようにしてくれたらしい。そのバンに乗っていた数人は降ろされ、ヒッチハイクで目的地を目指すようだ。乗っていたバスがいきなり「おれらは他の乗客を乗せるからお前ら降りて自力で行け」というのだ。理不尽なような気もするが、彼らは不服そうではなかった。
そんなことで僕らは大型バスに代わり、バンの「代車」で目的地のギルギットへ向かった。車内は窮屈で、体が痛くなりそうだった。
このバンも途中ガレージに寄って修理を受けていた。僕らは辛抱強く待った。ギルギットに着いたのは予定よりはるかに遅れた時間だった。ギルギットに着き、すぐさまフンザ行きのバンに乗った。
フンザとは地域の名前で、かつて存在した王国の名前だ。実際に僕が向かったのはカリマバードという村だ。
カリマバードに着いた頃には日が暮れていた。僕は目をつけていた宿に行った。何人かいたが、彼らは客ではなさそうだった。その日の客は僕一人だった。
この宿は日本人の間でも有名な宿らしい。旅の情報ノートには20年以上前からの情報が日本語で書かれていた。名物じいちゃんがいたそうだが、数年前に亡くなったらしい。今はその息子が切り盛りしているという。彼の顔と、壁のそのじいちゃんの顔写真が瓜二つだった。
彼は温かいチャイをくれた。冷えた体が温まる。笑顔は無いが、彼は季節外れの来客を快く受け入れてくれたようだ。
極寒のフンザ
次の日は谷を見渡せるビューポイントまで歩いて行った。空は曇っていてどんよりして、寒かった。ニット帽を被り、さらにジャケットのフードもかぶった。
ビューポイントは思ったより遠かった。そこからフンザ渓谷が見渡せた。これが夢みてたフンザなのだ。空が雲に覆われ、木々の緑がないその風景は灰色だった。それでも絶景だったが、季節がよければもっといいだろう。吹き付ける冷たい風を避けるため、岩陰に隠れながら景色を眺めた。
カリマバードまで戻って村を散策した。人はまばらで、観光客はいない。閉まっている店が多かった。アプリコットの花の時期や紅葉の時期は日本人も来るらしい。これは改めて来る必要があるな、と思った。
夜はあまりにも寒すぎた。やることもなかったので、夕食後すぐにベットに入ってうずくまって体を温めた。
次の日も周辺を散策してみた。この日も空はどんよりとしていた。僕はハイキングが好きなのだが、この時期に一人で歩くのは危険そうだったので諦めるしかなかった。何よりもこの天気だ。
当初もっとフンザにいる予定だったが、あまりにも寒かったので移動することにした。僕はスカルドゥという場所に行くことにした。
スカルドゥへ
フンザに来る途中で会ったパキスタン人が「フンザに行くならスカルドゥもいいぞ」と言っていた。僕はそのスカルドゥを目指した。フンザから行くにはギルギットまで戻らなくてはいけない。
フンザから早朝のバンに乗ってギルギットに戻り、スカルドゥ行きのバンに乗り換えた。バンはしばらくカラコルムハイウェイを走っていたが、途中から狭い渓谷の未舗装道路を走るようになった。車は始終揺れ続けた。道路が舗装路になるたびにホッとしたが、長くは続かず未舗装路へと変わってガタガタと揺れ始めた。途中何度か工事で足止めをくらった。
スカルドゥに着いた頃には真っ暗だった。僕はスカルドゥを勧めてくれた人が紹介してくれた宿に行った。ベッドもない床で寝る部屋だったが、彼は友人の紹介ということでお金はいらないと言った。
「フンザが寒い」と言って移動したが、スカルドゥも山奥にあり同じくらい寒かった。そしてスカルドゥに何があるのかよく知らなかった。
次の日僕は街外れの大きな岩山のあたりを散策した。その奥を大きな川が流れていた。これがかの有名なインダス河らしい。ゆったりと雄大に流れていた。
午後は郊外の砂漠まで行ってみた。この砂漠は高所にある「冷砂漠」として有名らしかった。砂漠自体はさほど大きなものではなかった。砂漠の背景に雪山という風景はとてもうつくしかった。
旅は予定通りにはいかない
スカルドゥに2泊し、ラワルピンディへ戻ることにした。政府系のバスにしたかったが、出発の時間が遅かった。僕は他のバス会社のバスに乗ることにした。
出発時間になっても一向に出発する気配はなかった。1時間待ってようやく出発した。出発は午後だったが、翌日の夕方にはラワルピンディに着くだろう。下手すればその日のうちにラホールまで行けると目論んでいた。
バスは行きも通った渓谷を走って行く。やがてあたりは暗くなった。夜通しこの渓谷を走るらしい。
曲がりくねったでこぼこの道を勢いよく走っていた。するとバスが突然停まった。どうしたのかと車内が騒然となる。どうやら故障のようだ。ドライバーや乗客が修理し始める。僕はすぐに走り出すだろうと思っていた。
他のバスがどんどんと追い越して行く。僕が乗ろうかと思った政府系のバスも通り過ぎて行った。あのバスにしとけばよかった、と後悔した。
しばらくして車内がどよめき始めた。英語の話せる人に聞くと「部品がないからスカルドゥから持ってこなくては行けない」という。僕は唖然とした。ああ予定が狂う、と僕は思った。バスが停まってからもうすでに3時間経っていた。
エンジンもかかっていない車内は寒く、静まりかえっていた。僕は身をうずめて、体を温めながら時間を待っていた。
少しまどろんでいたところで、車の音がした。どうやら部品ではなく、代車がきたようだ。僕らは荷物を載せ替え、出発した。バスが停まってから6時間が経っていた。もう深夜だった。それからバスは故障もなく走り続けた。
結局バスがラワルピンディに着いたのは出発した翌日の夜だった。しかし、なんとかその日のうちにラホール行きの夜行バスに乗ることができた。ラホール行きのバスはそれまで乗ったバスとは打って変わってきれいなバスだった。大きなテレビがあり映画が流れていた。車内は眩しいくらい明るかった。なんだか急に違う世界に来た気分だった。
ふと僕は一連のトラブルを思い返し、自分でも予定を詰めすぎたなと反省した。予定通りに進めようと考えたのがよくなかった。旅は余裕を持って楽しむものだ。
フンザやスカルドゥが遠い世界のことのように思えた。それにしても寒かった。いつか季節を改めてまた「桃源郷」に来よう。
(パキスタン旅行:2019年11月下旬〜12月上旬)
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