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憧れの地、ラダックへ

「チベットよりもチベットらしい場所」

こんな言葉を聞いたらチベット文化に魅了された人なら、一度は行きたいと思うだろう。かつてネパールで旅人から聞いたこの言葉に取り憑かれ、いつか行きたいと思っていたラダック。これはそんな憧れの地、ラダックへの旅行記だ。

ラダックへの道

約10年ぶりに降り立ったインドのデリーに1泊した後、すぐさまマナリーへと向かった。9月も終わろうかというこの時期は、マナリーからラダックへの道が雪で閉ざされる可能性があるのだ。マナリーに着いてまだ道が閉ざされていないことを確認し、高度順応のためにマナリーで数泊した後ラダックのレーへと向かった。

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夏のシーズン中であれば公共のバスがあるようだが、この時期はすでにシーズンが終わりかけていたこともあってバスはなかった。乗り合いのジープはあるようだったので、それに乗ることにした。しかも残りの2人の乗客は日本人だった。こんなところで日本人に会うとは思っていなかったので驚いた。

ジープは深夜にマナリーを出発し、丸一日かけてレーへと向かった。この道が標高4、5000m級の峠を何度か越え、道も悪く「過酷な道」であることは聞いていたが、僕には絶景を楽しめる「最高の旅」だった。高山病の薬を飲んでいたおかげか、体質のおかげか全く高山病に苦しむことはなかった。同乗者の1人は高山病で苦しんでおり気の毒だったが…。レーに着く頃には暗くなっており、目星をつけていた宿にチェックインしすぐにベッドに横になった。

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レーの街

翌日からレーの街をあてもなく歩いた。レーは標高3000m以上に位置し、坂を少し歩いただけで息が切れる。思っていたよりも大きな街で、賑わっていた。と言っても他のインドの街のような混み合いや喧騒はなく、人もそこまで多くなくてのんびりしていた。観光シーズンが終わった、というのもあるかもしれない。

何より印象深かったのは人々の多様性だ。街には日本人のような顔立ちをしたラダック人だけでなくインド人も多くいた。彼らが共通語(おそらくヒンディー語)で話している様子が、何でも受け入れるインドの多様性を表しているようでおもしろかった。

メインバザールのスイーツ屋にはよくチャイを飲みに行っていた。その店の主人はパンジャブ出身と言っていたし、従業員もインド人だった。通りには多くのインド人が経営する店があったり、路上ではカラフルな民族衣装に身を包んだラダック人のおばちゃんが野菜を売っていたり、欧米人の観光客が歩いていたりといろんな人たちが歩いていた。

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しかしふと路地に入ると、チベット仏教の巨大なマニ車があったり、王宮やゴンパ、はためくタルチョが見えたりとチベット文化の世界が垣間見えた。王宮へ向かう旧市街はまさに僕がイメージしていたレーだった。

王宮近くの眺めの良い丘の上にはよく行った。レーの街並みが一望できるのだ。街並みや王宮、そして遠くの山々が見えるその景色は僕が長年見たかったそのものだった。風が強いその場所では、カラフルなタルチョが勢いよくはためいていた。

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1日に何度もメインバザールのスイーツ屋でチャイを飲んだ。夜はどこかしらでラダック(チベット)料理を食べた。お気に入りのモモ屋には何度も通った(モモ=チベット餃子)。

そんな風に何をするでもなく、あてもなく歩く日々を数日続けた。

絶景の村 チェムレー

レーで会った旅人と郊外のチェムレーという村を訪れた。僕はその場所については知らなかったが、ドイツから来た彼は他の有名な村をさしおいてそこに行きたがっていた。特に予定もなかったし、何より「何が彼を惹きつける」のか気になったので一緒に行くことにした。レーからバスで1時間もかからずにチェムレーへ着いた。

チェムレーの村は遠くから見てもはっきりとわかった。「要塞」のように村が丘にへばりついているのだ。村はバスが走るメインの道路から数キロ離れているにもかかわらず、バスの中からはっきりと村を認識できた。僕らはバスを降り、村へと歩いて行った。

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周りにはのどかで静かな風景が広がっていた。遠くには山々が見渡せ、絶景だった。僕はここに連れて来てくれたドイツ人の彼に心から感謝した。

村に近づくにつれ、全容が見えて来た。丘の頂上にはゴンパ(僧院)があり、そこを中心に麓まで家がびっしりへばり着いていた。僕らはゴンパを目指した。村はひっそりとしていて、人はほとんどいなかった。観光客もおらず、1人欧米人旅行者(らしき人)とすれ違ったくらいだ。

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ゴンパもひっそりとしていたが、数人がせわしなく動いていた。どうやらこの日は村人総出でゴンパを「大掃除」しているらしかった。残念ながら資料館は閉まっていたが、中を自由に見学させてもらうことができた。キッチンの横にあるホールにいると、チャイを勧められ遠慮なくいただいた。

窓からは眼下に村が見下ろせた。なんて美しい風景だろう、と思った。この後「ナウシカの谷のモデル」とも言われるパキスタンのフンザを訪れるつもりだったが、ここも「ナウシカの谷」と呼べそうだなと思った。いつまでも見ていられる風景だった。

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チャイを飲み終わった後、ゴンパの中を見学して回った。ゴンパは迷路のように入り組んで、いくつも仏像がある本堂のような部屋があった。お坊さんがいてお経を読んでいる訳ではなかったが厳かな雰囲気があった。僕らは自然と息を殺して、静かに喋り、ゆっくりと歩き、まるで場の雰囲気を壊さないようにしていた。

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所々で村人が一生懸命掃除をしていた。あまり外国人である僕らを気にしていないようだった。必死になってガラスについたロウソクのすすを落としていた。全て手作業でやっているようで、建物全体がとても静かだった。

見学を終えてホールへ戻ると「昼食も食べていけ」と言ってくれた。一瞬申し訳なくも感じ躊躇したが、せっかくだったのでいただいた。カレーだった。とは言ってもスパイスの効いたインドカレーではなく、まろやかなカレーだった。

窓から村を見下ろすと、何人かの村人が道路を箒で掃いていた。どこまでものどかな風景が広がっていた。去り際にはいくらか寄付をして、ゴンパを、そしてチェムレーを後にした。

この後に他の郊外の村を訪れたのだが、チェムレーののどかさや美しさを越える場所はなかった。ティクセーという村のゴンパも立派で、景色はよかったが、僧侶の態度がそっけなかった。きっと観光客に嫌気がさしているのだろう。でもその人間らしい態度を隠さないお坊さんに好意と同情を抱いた。

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いつかまた来たい場所

他にも有名なインド映画の撮影地にもなった「パンゴン・ツォ」や絶景が楽しめる「ヌブラ渓谷」にも行った。パンゴン・ツォにはまさにその映画のシーンに影響され行ったのだが、空に雲が広がっていたせいか期待していたものとは違った。それでも絶景だった。ヌブラ渓谷の話はこれはこれで長くなりそうなので他のところで話したい。

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結局ラダックには2週間弱いた。僕は再びマナリーへバスに乗って戻った(プライベートの中型バス)。ありがたいことに道はまだ閉じてはいなかった。行きと同じ道ではあったが、帰りの景色も目を離さず眺めていた。景色で言えば、マナリーからレーまでの道がラダックの中で最も絶景だったかもしれない。と言ってもラダック自体が「絶景の宝庫」だと思っている。

今では「憧れの地」は「いつかまた来たい場所」へと変わっている。

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ラダック旅行:2019年9月下旬〜10月上旬

#旅行記 #海外旅行 #インド #ラダック 

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