自動書記の練習 4日目
自動書記の練習、4日目となります。
はじめての方のために、はじめた経緯についてこちらをご覧ください↓
今日は朝から大雨と強い風で、荒れ模様の天気です。
窓の外のクスノキも、ちぎれんばかりに揺れています。
昨晩、かなり気温も高かったからか珍しく寝苦しくて、眠くはないけれど、からだが火照って重だるいような感覚があります。
寒いのもつらいですが、急に気温が上がるのもうれしいようなちょっと困るような。
そんな朝を迎えています。
さて、今日は何を書きましょうか。
一応昨日の続きとして「この練習に期待すること」の2つめについて書いてみようかな。
それは、「全体とつながる」とか「言葉が降りてくる」という感覚をもっと確かなものとして強めていきたいと思っていることです。
これらの感覚は、今もちょっとは分かるんですが、まだまだ頼りない感じで、書いていても「あれ、どんな感覚だっけな?」と思ってしまうし、言葉が降りてくる感覚も、たまにはあるんですが、特にここ10年ぐらいは本当に少なくなっちゃって、その感覚を取り戻したいなと思っているのです。
実は以前、2005年くらいから2015年過ぎぐらいまでの約10年ほどの間は、写真をとって作品展をしたり、コーラスグループに入って歌を歌ったりと、創作・表現活動を結構やっていた時期がありました。
その頃は、いつもではないにしても、時々とてもセンサーが敏感になって、色々とインスピレーションをキャッチできたり、自分でも思いも書けないような作品が出来たりということを何度も経験できていました。
ところが、それ以降色んな事情でそれらの活動から距離を置くようになり、仕事でストレスを受けてうまく解消できなかったりしているうちに、すっかりそのセンサーが錆びてしまい「もう、この感覚は戻らないんじゃないか」とさえ思うようになっていました。
と、ここで20分経ってしまいました。さっき続きの文章を書いていて「不安」という文字を打ったところ、なんか違和感を感じたので消しました。この感覚は違うところにつながっているな、と思ったのです。
まだまだ、気がつかないうちにあっという間に自我のモードに戻っているようです。なかなか難しいですね。今のところは、なんとか自我モードにはまっている状態に気づけるようになった、という段階のようです。
あ、でもひとつだけいい材料もありました。昨日記事を書いた後ふいに「人生は壮大な人体実験」という言葉が出てきました。
これは数日前の「自動書記の練習」と同じように、予め用意されていた言葉ではなく、どこかからやってきたという感じなので、「降りてきた」という感覚に近いものだと思っています。まあ、今はたまにはそんなこともある、という程度です。
またまたまとまりないでですが、時間切れなので今日はこの辺で。
つづく
<通常モードでの5分間振り返り>
今日は、少し落ち着いて書けるかなと思っていましたが、やっぱり少し前に考えていたことで頭の中に用意されている材料を出す感じになると、そこまでするするとは出てこなくて時間はかかるし、想定以上のものも出てこない感じですね。
自動書記というと「奇跡のコース」や「神との対話」みたいに、自分とは別人格のメッセージを受けて、それを書き留めるようなイメージがありますが、正直そこまで行こうとは思っていません。ただ、自分の中にある今まで抑えられてきた本音みたいなものを解放できたらいいなとは思っていたりするので、その感覚を強められたらなとは思います。
まあ、この文章もさっきの続きみたいで、もはやどっちのモードなのか分からなくなってるし、なんだか絶賛迷走中という気がしますが、もうちょっとあがいてみたいと思います。
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