青春は薄暮れていく

山本寛監督(ヤマカン)の"最後の作品"である薄暮が、2019/6/21に公開されたので鑑賞してきた。この世界の片隅に、で誰かのクリエイティビティを応援する妙な満足感を得て以来、時々クラウドファンディングに参加しているが、この作品もその一つだった。

端的によかったと言える。人を選ぶ感じでもない。みんなにも見てほしい。テーマは普遍的なボーイミーツガールであり、こそばゆい青春の追体験をさせてもらった。文化祭の高揚感や、楽しかったことは覚えてても中身はまったくおぼえてない友人との会話、そしてある日突然知る恋心などなど。青春とは振り返ったとき初めてそれが青春であったことに気づくものなのである。

物語の舞台は福島で、震災の記憶はまだ歴史とは言えない生々しさで残っている。避難区域出身の人が身近にいて、天気予報のように放射線量情報が毎晩流れる生活は、紛れもなく福島の今なのだと思う。

とはいえ主題はボーイミーツガール。風景の中で描いた普通の高校生二人が惹かれあって、そして告白し、付き合うまでを52分という短い時間の中で描いている。佐倉綾音演じる騒がしい友人が淡々とした物語の中でいいアクセントになっていた。女の子の方が多く悩み、そして少し早く成長していくのもまた自然な描き方だ。


だけど、古い。 

…のだと思う。三十路も中程を過ぎようとしている自分が瑞々しさを感じてしまうのであれば、きっと今の高校生には響かない。今の子たちは呼び出して顔を見て告白するのか。あえて(お互いに)傷つくリスクを負うのか。

今の高校生はこれを見たときに、たとえば自分が昭和のトレンディドラマ(東京ラブストーリーとか?)を見たときに出会う「作り物」の違和感をもってしまうのではないだろうか。

端的に、今の高校生には届かないのではないかと思ってしまった。上映会も「大人」が中心だったという。高校生に届ける機会がないだけなのか、あるいは、作品として彼らに届くポテンシャルがないのか。

炭酸飲料MATCHの宣伝で「青春ゾンビ」という単語がホットになっているけれど、面白おかしく騒いでいる人のペルソナは、「20代後半から40代半ばまでの男性で、学生時代は文化系か帰宅部、その後はアニメやアイドルに出会って会社員生活はほどほどこなしつつ消費生活を送ってる」という感じかと思うのだけれど、それはヤマカンが非難する「ポタク」とわりと重なってしまうように見える。
ヤマカンというレッテルを剥がしてこの作品を見たときに、誰に刺さりそうかというと、まさしく青春ゾンビたちであり、ポタクたちなのではないだろうか、と思い至る。

https://camp-fire.jp/projects/view/125182

クラウドファンディング第二弾で集めた500万円は中高生を中心とする福島県民1万人に見てもらうために使うという。払う人=見る人という構造を変える新しい取組であるものの、果たして肝心の作品自体に中高生の記憶に残るようなパワーがあるのだろうか。彼らの感受性に刺さる作品なのだろう。それならばいっそ、つまらなければよかった(なぜならばおっさんにとってつまらないなら高校生には面白いかも知れないから)とまでおもってしまう。

福島での1万人招待が終わったとき、現役中高生からの素直で直接的なフィードバックがあればいいけれど、議論もなく、好き嫌いもなく、ただ忘れ去られるだけならば、そのときは改めて自分が青春ゾンビであることを認めたいと思います。

だって、私はこの薄暮という作品が好きだから。この中で描かれる青春の風景を否定することなんてできないから。

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