#5 逃げと選択と集中。
私はとてもめんどくさがりだ。
そして逃げ癖もある。
何かに行き詰まったり、自分の壁にぶち当たると、すぐに思考停止して現実逃避してしまう。
できれば、自分が本当にやりたいこと以外の事はしたくない。
気が向いていることだけをやりたい。
もちろん苦手なことも極力やりたくない。
好きなこと、得意なことだけを磨いて生き生きとしていたい。
こうして自分の弱点と理想を文章に起こしてみると、「なんて自分勝手なやつだ!w」と思う。
「甘ったれてんじゃねえぞこのゆとりめ!」と言われても仕方ない思考をしているかもしれない。
でもそれでいいと思う。
嫌なことから逃げる。
でもただ逃げるんじゃなく、その分、自分の心が向く方に。
劣等感と逃げ
高校の頃、私は数学がとても苦手だった。
中学まではそこそこ好きな教科だったのに、高校に入って一気に嫌いになってしまった。
原因はいろいろあるが、大きくこの4つだ。
①面白くない
②難しくて理解できない。
③どう役に立つかわからない。
④先生が高圧的で怖すぎる。
どれも私のモチベーションをガクッと下げる要因だったが、特に④の「先生が高圧的で怖すぎる」が私にとって致命的だった。
せめて、優しく分からないところを教えてくれるようなタイプの先生であったら、私も何とか食らいついて質問することができたかもしれない。(人のせいにすんなと怒られそうだがw)
その先生は、宿題をやっていない生徒がいたら、みんなの前で大声で叱責するタイプの先生だった。
いつ当てられるか、目が合わないか、近くに来てノートをみられないか。
私は彼の授業中すっとビクビクおびえながら過ごしていた。
こんな状態で成績が良くなるわけがない。
しょっぱなから躓いてしまったら、どんどん遅れをとってしまう。
私は赤点ギリギリを常にさまようような落ちこぼれになった。
私は数学から逃げた。
そして数学は私にとって「捨て教科」になった。
私の通っていた高校は、県下トップクラスの進学校(幸運にも合格できた)だったので、劣等感は凄まじかった。
「周りの皆は、当然のようにできるのに、なぜ私はこんなに要領が悪いのだろう。」
「やはりこんな頭のいい人間の集まる場所に来るような人間ではなかった。」
やらない→できない→やりたくない→やらない...
ネガティブループに陥り、学校に行きたくない時期もあった。
勉強だけがすべてではないとは思っていたが、勉強すらできない自分に嫌気がさした。
キャラの発見
しかしそんな私にも、得意な教科があった。
中学から塾に通わせてもらっていたこともあり、英語だけは周りの頭のいい友達と同等レベルかそれ以上だった。
友達からは、完全に「英語だけはできるキャラ」として認識されるようになった。
それからの私は、そのキャラを守るように頑張った。
頑張っていたら、評価されて、さらに好きになった。
できない数学に囚われていた時とは違って、心がかなり軽くなった。
居場所ができたような気持になった。
自分は「数学が全くできないキャラ」ではなく「英語だけはできるキャラ」でありたかった。
高校を卒業するまで、無事に私は「英語だけはできるキャラ」を守り抜いた。
その場しのぎの武器だったかもしれないが、自身がついた。
そして大学受験も数学を使うことなく(自分で選択肢をなくしたのだけれどw)突破することができた。
尖ったバロメーター
私のこの高校時代の経験から得た学びは「嫌なことからは逃げていいこと」と「選択し集中すると効率がいいこと」の2つだ。
私はいろんなことに満遍なく力を注げるほど、器用な人間ではない。
私の高校の頃の模試の結果のバロメーターは、全然きれいな正多角形じゃなかった。
大きなとんがりがとんがりが1つ。そして大きな凹みが1つだった。
友達からは「お前の形投げたら壁にぶっ刺さるよなw」と言われたことを今でも覚えている。
でも、逃げて、選択して、集中したことが結果的に功を奏した。
割り振る能力値が沢山あるタイプの人は、きれいな五角形を目指していくのだと思う。
というか、そもそもそんなどの能力も均等に優れているような完璧人間は存在しないと思うのだけれど。
ただ、無意識に、完璧主義にとらわれていただけなのかもしれない。
私はそこまで能力値に余りがなかったので、一局集中タイプにせざるを得なかった。
でもそうすることで、自分の中にキャラクターが生まれた。
結果私は、学校という、テストの成績でいちいち評価される小さいコミュニティにおいて、生きやすくなった。
でこぼこのあるキャラの方は魅力的だ。
それに、なんでもそつなくこなすキャラより、一点突破型のキャラの方が、専門性があって頼れる。
個人的に、何か問題が有るくらいの方が人間味があって好きだw
おわりに
苦手なことに立ち向かって、克服することが時間の無駄だとか、無意味だということを言いたいわけではない。
それは素晴らしいことだ。
努力と忍耐のプロセスは、何かしらの道に必ず必要だ。
私だって、立ち向かわなければならないものには立ち向かってきた。
ただ、時に、立ちはだかる壁に抜け穴があれば、抜け穴を利用してもいいと思う。
いつまでも壁に絶望するより、その先の景色の方がよっぽど価値があると思う。
逃げちゃいけないという思考こそ精神を病ませる。
集中力は無限じゃない。
時間と言うリソースも無限じゃない。
情熱があふれる場所は人によって違うし、量も異なる。
それなら、自分が好きで選んだ場所に投下したほうがいいに決まっている。
何より、失敗しようが自己責任と割り切れる。
自分の人生は、自分が自分で生きやすくするほかない。
こんな甘ったれで、嫌いなことからすぐに逃げる私だが、これからも愛すべき点の方をより可愛がってあげて、生きていこうと思う。
そして胸をはって堂々と自分の強みを発揮できる人でありたい。