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下総台地から江戸川を越えて東京都心へ! 新京成電鉄の未成線「柴又線」計画を追う

松戸駅と京成津田沼駅を結ぶ新京成電鉄には、松戸駅から京成電鉄の柴又駅を結ぶ柴又線の建設計画がありました。今回は、柴又線の概要を紹介するとともに建設計画が中止になった理由を考察。さらに開業した場合のダイヤを考えてみました。

(この記事は2020年2月に会員限定記事として配信したものです。)

新京成電鉄にもあった延伸計画

 関東唯一の準大手私鉄、新京成電鉄。千葉県下総台地の分水嶺の上をうねりながら通り、松戸駅(千葉県松戸市)と京成津田沼駅(千葉県習志野市)の26.5kmを6両編成の電車が40分強で結んでいます。

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▲松戸から津田沼方面へ向かう新京成電鉄8800系(2020年1月14日、鳴海 侑撮影)。

 戦後に建設された新京成電鉄の全線開業は1955(昭和30)年のこと。その後すぐにふたつの鉄道延伸計画が立てられます。うちひとつは江戸川を超えて東京都内に入り、京成電鉄金町線の柴又駅(東京都葛飾区)まで延伸するというものでした。

 開業したばかりの鉄道にとっては大がかりにも見える延伸事業はどういった経緯で計画され、また未成に終わったのでしょうか。今回はその経緯を追い、もし開業していたら運行ダイヤはどのようなものになったか考えてみました。

大規模住宅団地造成を契機に東京都心乗り入れを目指した新京成電鉄

 新京成電鉄が全線開業した頃、沿線はまだ農村地帯でした。しかし、東京都心へは人口流入が加速し、住宅が不足していました。そこで良質な住宅供給が社会的に要請され、新京成電鉄の全線開通と同じ1955(昭和30)年には日本住宅公団が設立されます。日本住宅公団は大量の住宅供給を志向し、大規模な住宅団地を次々と造成していきます。

 東京都心に近い新京成電鉄沿線は大規模な住宅団地建設に向いた土地でした。そこで、1960(昭和35)年前後には前原団地(千葉県船橋市)、習志野台団地(同・船橋市)、高根台団地(同・船橋市)、常盤平団地(同・松戸市)と次々に大規模住宅団地を造成します。そして続々と人々が新京成電鉄沿線に移り住んできます。特に常盤平団地は大規模で、5000戸近い賃貸戸数を計画し、計画人口は約2.6万人にものぼりました。

 課題となったのが、都心への通勤ルートにおける混雑でした。常盤平団地からは新京成電鉄で松戸駅まで出た上で国鉄常磐線に乗り換えて都心に行くのが通勤ルートとなっていました。しかし、当時の常磐線はまだ複線でピーク時の混雑率は約250%とすさまじい混雑でした。

 そこで、新京成電鉄は混雑が緩和された都心直通ルートを整備する計画をたてます。それが松戸駅から路線を延伸し、江戸川をこえて京成金町線柴又駅に至る「柴又線」全4.7kmの建設計画でした。そして柴又駅からは京成線を経由し、京成電鉄が当時計画していた押上駅(東京都墨田区)から有楽町への新線へ直通した上で東京都心に乗り入れることが構想されていました。

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▲新京成電鉄柴又線の免許申請時の計画ルート。三矢小台地区、矢切地区ではその後少しルートが変わっている(鳴海 侑作成/国立公文書館蔵の資料をもとに国土地理院の地図を加工)。

 この新通勤ルート整備により新京成電鉄は常盤平団地をはじめとした自社線沿線の住宅団地をより魅力的な場所としてアピールし、既に開通していた沿線の発展を促進しようとしたのです。そして路線免許を1956(昭和31)年に申請し、1962(昭和37)年7月に免許がおりました。

新京成電鉄柴又線はどんな場所を通る予定だったのか

 柴又線は全線単線での工事が計画されていました。軌間は新京成電鉄の軌間にあわせ、最初は1372mmで申請され、のちに1435mmに改められています。そして4.7kmの間に駅は途中駅「園芸学部」駅と「松戸高等学校前」駅の2つを設ける計画でした。

 では、具体的な建設予定地はどのような場所なのでしょうか。実際に現地の写真を交えながら見てみましょう。

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