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特急運転開始当日の京王線 いまへと至るエポックメイキング

57年前、京王帝都電鉄は新宿~東八王子間で特急の運転を開始しました。特急運転開始の半年前には新宿駅が地下化、さらに架線電圧も600Vから1500Vに昇圧されるなど、大幅な変身を遂げました。今回は特急運転開始当日の写真をご覧いただきます。

(この記事は2020年7月に会員限定記事として配信したものです。)

特急運転開始で「綺麗で速い」へ

 京王帝都電鉄(現・京王電鉄)で定期的な特急の運転開始は1963(昭和38)年10月1日のダイヤ改正からとなります。昭和38年というと東京オリンピックの前年ですが、京王線はこの年が「ボロくて遅い」から「綺麗で速い」へと変身するスタートラインになりました。

 変身する前の京王線は新宿駅がまだ地平にあり、そこから約500mは甲州街道の真ん中を併用軌道(軌道内に自動車の乗入れはできない)で走っていました。架線電圧は600Vで、軌道線時代の面影を残す小型車にはダブルルーフも混じっていたし、線路は踏切が多く、スピードが出ないのにやたらと警笛を鳴らすのが鬱陶しく感じました。

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▲西調布~調布間を走る2010系の下り特急。特急は9時台以降、20分ごとの運転で、新宿~東八王子間を40分で結んだ。5000系はまだ18両(4連、2連が各3本)しかなく特急の5運用をカバーできなかったので、2010系の4次車4本(2023~2026編成)も5000系と同じ塗色に変更して特急に使用された(1963年10月1日、楠居利彦撮影)。

 路線は新宿~東八王子間の本線と、調布~京王多摩川間の支線、東府中~府中競馬正門前間の競馬場線だけで、本線も中河原~聖蹟桜ヶ丘間の多摩川を渡る鉄橋部分と、北野~東八王子間は単線でした。

半年前に変身の第一歩

 変身の第一歩は1963年4月1日、併用軌道部分は地下化され、新宿駅も地下に移りました。次いで8月4日には架線電圧が1500Vに昇圧され、小型車は2000・2010系に組込まれるサハを除いて廃車。代わってアイボリーに臙脂(えんじ)の帯を巻いた5000系が営業運転を開始しました。2600系以降の形式も本来の性能を発揮できるようになり、モーターに架かる電圧が2割アップすると、こんなにも走り方が違うのかということを実感しました。

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▲調布~府中間の普通列車に使用される5070系5072編成。この日、5000系の4連は2本が特急、1本が急行、2連は2本併結で特急、1本が普通という運用だった(1963年10月1日、楠居利彦撮影)。

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