3周年らしい

絶賛仕事中
やることいっぱい、こんな記事を書いている暇もないのに、
なぜか書きたくなったので、時間をある種無駄遣いして書いている。

今日は特にまとまりがない

noteの通知をみたら、アカウント開設から3周年らしい
今日は何か気持ちが荒れている。

思えば、特定個人に向けて書くだけのために始めたこのnote
今でも、特定個人しか読んでないと思う
というか、その個人ももう読んでないかもしれないし、
いずれ存在も忘れるのだと思う。

思い出してみたら、このnoteだって、
誰かの真似事だった。
どの記事かも忘れたけど、
推しについて、自分の経歴について、
そんなことを語っていた素晴らしい記事があった
読みやすくて、共感ができて
自分も、そういう語りみたいなのをやりたいと思ってnoteを開設した

すぐに飽きてしまうだろうと思った
書きたいという衝動は、おおむね、1つ記事を書いてしまえば満足いく
そんなのTwitterに書いたらいいのに、
なんか長い文章を書きたかった
あんまり垂れ流したくなかった。
なんとなくそんな気だった。

人間の関係は、はかない。
つい、この間まで連絡取っていた人は、急に連絡がなくなる
今までは一生懸命こちらから連絡していたのに、
なんとなく、こっちの気持ちも切れてしまって、連絡する気も起きない。

これもどこかで、
どうせ、その友人、恋人も、次に自分よりも大切な人を見つけて
自分は醜い思い出になっていくのに
だったらべつにその関係もいらないって書いてあって。

なんとなく共感してしまった。

2人で幸せになれるわけではない。
ヲタクとアイドルもそうだ。
だけど、そういう意味のわからない関係が
推しなのだと、常に思う。

推しとヲタクの関係は一生の平行線。

特定個人のヲタクであること/ヲタクであったこと
これは、何一つ後悔はしてない。

だけど、こんなヲタクが推しを幸せにしようとか、
推しが幸せになってほしいとか
そんなことを願っている自分がどうにもキモイ

そんな大した存在じゃないだろ、お前はと、
空中からもう1人の僕が問いかける

3周年ってこんなもんか


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