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色について「うすだいだい色」

 そうか。最近は肌色と言うのはだめなのか。薄橙色というのか。でも肌色と橙とは少し違う気がする。そしてこのような言い換え置き換えは、言葉を大事にしたい世代にはカルチャーショック。グローバルで偏見なき世界のためにはそれ相応に言葉も変わるのだろう。それが人類の進化なのかもしれないが、本当にそれで良いのだろうか?
人間の感情や行動は言語に支配されるという。言語化され、事物に名前がつくことにより共通認識となり具体化され、更に抽象化され思想となる。しかしある言葉が別に置き換えられ、その背景となった思想を封じ込める。それは本当に進化なのか?
そもそもこの色は人を描き、塗るときに使っていた。肌の色が違う人を塗るとき、子供達はきちんとその人の肌の色を塗る。子供だってきちんとわかっている。それを薄橙というよくわからない名前に置換えることで逆偏見を産まないだろうか?少々心配となる。

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