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ラジオ番組への応募作(エッセイ又はコラム):お題「占い」1200字程度

一般的に理系男子は占いを信じないという傾向があるように思う。例えば、次のような男女の会話にそれは現れる。
女子「ねえ、今日のラッキーカラーは赤だって、だから赤い服を着てみたの」。
理系男子「ラッキーカラーとは何ぞや。その定義は?」。おお、理系男子、君のそのリアクションは正しい。定義のないものは信用できない、その姿勢は正しい。ただし、おそらく、モテない。
占いは統計学だという理屈がある。それならば理系男子にも理解できるかもしれない。
しかしながら残念なことに占いは統計学ではない。
まず、統計に必要なものはデータの量と質である。データの量と言うのは例えば、町内の男女比を調査するような場合、全数を調査すれば一番良いが、それが困難な場合にはサンプルを取って調査する。このサンプル数が多いほど、元の集団(この場合は町内)の傾向がわかるというものである。例えばサンプルを2人とし、その2人が男だった場合、町内は全員男、という結論になってしまう。これがデータの量の重要性である。
次にデータの質である。例えば町内の男女比を調べるために、町内の女子高でサンプルを取るとどうなるだろう。この場合は女子の比率がかなり高くなる。つまりサンプルはなるべくランダムに集める必要があるという事だ。
占いの場合に置き換えると、まずサンプル数はその占い師が見た数になるだろう。これは多いかもしれないが、相談事があるという偏ったサンプルとなる。例えば結婚相談では相談者が結婚に悩んでいる、つまり質の問題が発生する。
また、統計分析する際にはサンプルに対する解析手法を全く同じにする必要がある。占いの場合で言えば、占いの方法・手続き、会話まで同じにし、機械的に分析する必要がある。
つまり、占いが統計だというためには、相談者を多量に集め、かつその相談者には偏りがなく、機械的に質疑応答し、占った内容がその後どうなるのか追跡調査し結果を集め、それを分析する必要がある。
逆に統計を使って占いが当たるように見せかけることは簡単である。例えば30歳女性相談者が占い師に結婚できるかを尋ねた場合、占い師は「近々、出会いがあり結婚に向かうでしょう」などと応えたとする。そして数年後、この女性相談者は良き伴侶と出会い、結婚する。これは、占いが当たったという事なのだろうか。
最近の調査によると女性の生涯未婚率(50歳までの未婚率)は約15%、つまり85%は50歳までに結婚することになるので、この手の占いはほぼ当たることになる。
結論的には、占いとはせいぜい占い師の「経験則に基づくあてもの」ぐらいのものだという事になる。
と、ここまでつらつらと占い批判めいたものを書いてきたが、朝のワイドショー終わりの占いコーナーが気になり、通勤中の電車の中でニュースサイトを見ながら今日の運勢に一喜一憂してしまうのは、どういう心理なのだろう。それはそれで解析が必要と思われる。
(文字数1,199文字)

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