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のりくろーの古代妄想 個人的大発見

❍みなさまこんにちはのりくろーです

これまで、いわゆる「邪馬台国論争」について何の根拠もなく妄想してきました。その延長線上で、個人的な大発見がありました。

大発見などと、人目を引くワードを使ってしまいました。そうです、最近は読んでくれる方も減ってきているので、ここで一発逆転を阻ったわけです。これだけやれば、Googleランキングで1位になれるはず。ふふふ。

もちろん個人的にですし、すでに知っている方も多いかもしれません。あ、さらに自分が何かを発見したわけでもありません。なにが大発見だ。

❍海のモンゴロイド

「魏志倭人伝」の中に、次のような記述があります

又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至

魏志倭人伝

女王国の東南、船で一年程行くと、裸国、黒歯国があります。

私の妄想では距離と方位的に、この裸国と黒歯国というのは、サイパンとグアムのことではないかと考えていました。

あまりにも、突拍子もないのでさすがにないかなと思っていました。しかし、その可能性を切り拓く本をみつけてしまったのです。

その本とは、

吉川弘文館 歴史文化ライブラリー 139

「海のモンゴロイド」
ポリネシア人の祖先をもとめて

片山 一道

です。まだお読みでない方はぜひ御一読下さい。

「常識では考えられない」ことだからこそ、その謎を解くべく学問が始まるのだ。page.25

海のモンゴロイド
片山 一道

著者も認めているように、信じられないような話です。某新聞社による妨害もあったようです。

著者紹介によりますと、執筆時は京都大学霊長類研究所教授とあります。完全な専門家です。

さまざまな説得力のある状況証拠が、記述されているので素人としては、絶対に正しいと思ってしまいます。もちろん多くの人も、説得力があると考えるのではないかと思います。

しかし、某新聞社の記者によると違うようです。

フランスの学者がバヌアツで、縄文土器と特徴の似た土器片を発見します。その事に対して、某新聞社の調査によると

某大学の考古学教室にあった円筒下層式の縄文土器片がパリの博物館に寄贈され、それがバヌアツで見つかった土器に混じったのだ云云である。page.22

海のモンゴロイド
片山 一道

当然、その事はでたらめだったのです。詳しくは、お読み下さい。

この本は、ポリネシアの話になります。ポリネシアに関する地名や島名が多く出てきます。恐らく多くの人は、そのような知識はないと思われます。

そのため、Googleマップを片手にお読みになる事をお勧めします。私も初めはどこがどこだか全くわからなかった。

❍ラピタ人

バヌアツでみつかった縄文土器と特徴の似た土器片は、ラピタ土器と名付けられます。そのラピタ土器を使ったと考えられる人々ラピタ人と呼びます。

そのラピタ人は、今から約四〇〇〇年前ニューギニア北東のビスマーク諸島に突如として現れ、約二〇〇〇年前に姿を消します。

いや、姿を消したのではなく現地化していったそうです。元々ラピタ人とは、ラピタ土器を使用した人々という定義だそうです。

数千年の間にラピタ土器は使われなくなる。そして、混血が進む。体の特徴も現地の環境に適合していく。つまり、ラピタ人は数千年の間で、ポリネシア人に変わったという事です。

この地域には、約5万年前の氷河期には人類が到達していたそうです(その頃の海水面は考えられないほど低かった)。しかし、ほとんどの島は無人島だと思いますが。

そして、ラピタ人と交わり、文化を吸収したポリネシア人は、フュージョンによってスーパーサイヤ人に変身します。もちろん嘘です。(笑)

しかし、そのパワーはもしかするとスーパーサイヤ人なんじゃないのかと思えるほどです。大海を完全に制覇し、多くの島々へ上陸を果たします。カヌーに乗ってです。

トンガ、タヒチ、ハワイ、そしてあのモアイで有名なイースター島までもです。イースター島は最も近い島でも一〇〇〇km以上も離れているそうです。カヌーに乗ってです

もちろん、本当に変身したわけではないので、期間はかかりました。

トンガやサモアの西ポリネシア
紀元前一〇〇〇年前後

タヒチなどの中央ポリネシア
紀元前一年前後

ハワイやニュージーランドやイースター島などの辺境ポリネシア
紀元一〇〇〇年前後

です。

いずれにしろ、信じられない程の航海能力です。

❍ラピタ人はどこから来たのか

もちろん、宇宙船に乗ってやってきたのではありません。なんと彼らは、台湾付近から中国南部の海岸地域に住んでいた人々だそうです。

現代のポリネシア人は、見た目は全く異なりますが、モンゴロイドの特徴を持ち合わせているそうです。

蒙古斑が現れる人が多い
遺伝子の一部にアジア人特有遺伝子がある
完全に下戸の人がいる

だそうです。

つまり、ラピタ人はオセアニアにやって来て、その特徴をポリネシア人に残していったのです。

間違っている箇所もあるかもしれません。詳しくは、著書をお読みください。

❍グアムとサイパン

ところで、この本の中では、残念ながらグアムとサイパンに関する記述はありませんでした。おいおい。

で、今回一番大切な箇所が調べられませんでした。というわけにはいかないので更に調べてみました。

まぁ、でも良くGoogleマップを見てみると、グアムとサイパンはフィリピンからも相当遠いいし、パプア・ニューギニアからも相当遠いです。

ラピタ人が上陸したのは想当後かなと。希望は薄いかな、と思っていたらそんな事はありませんでした。

こちらの著書にその記述がありました。

「オセアニア暮らしの考古学」

印東道子

朝日新聞社

更新世代には、ミクロネシアに人が住んでいた形跡はない。やはりアジア大陸から遠すぎたのだろう。最初に人間が拡散してきたのは、いまから約三五〇〇年前で、マリアナ南部の比較的大きなグアム、サイパン、テニアンの島々から遺跡が見つかっている。出土する土器などから、やはりモンゴロイド集団が拡散したと考えられている。その年代は最古のラピタ遺跡よりも古く、モンゴロイド集団が、ほぼ同時期に赤道の北と南で別個に東方へと拡散したことを示している。
Page.41

オセアニア暮らしの考古学
印東道子

なんと、陸地からあれだけ離れているグアムとサイパンは、最初期の約三五〇〇年前にすでに到達していたのでした。紀元前一五〇〇年あたりの話になりますので、卑弥呼時代のはるか昔です。

つまり、卑弥呼時代の一〇〇〇年以上も前に、台湾付近や中国南部の沿岸地域の海洋民族は、こんな所にまで行っていたのです。

卑弥呼時代になれば、日本に行くなんて朝メシ前って事になりますよね。この事が衝撃的だったのです。これまで、卑弥呼時代は対馬海峡を超える事すら大変な時代なんだろうなと思っていました。

それとも、一〇〇〇年の間に全滅したとか、航海術は全て失われた、とかは考えにくいと思いますが。むしろ、その一〇〇〇年の間にすでに倭国と交易しててもおかしくないし、上陸しててもおかしくないですか。

ちなみにこちらの著書には、縄文という単語は一つもありませんでした。出版社を見たら朝日新聞社でした。

動物よりもずっと運びやすい黒曜石(ガラス質の火山岩で、その鋭い剥片はナイフとして使われた)も大量に運搬されていた。Page.23

オセアニア暮らしの考古学
印東道子

黒曜石といえば縄文人ではないですか。まぁ、もし縄文人だったとしたらすごすぎて、逆に秘密にしておきたいレベルですよね。日本人脅威論とか出てきそう。

中国ではこの事はどのようにとらえられているのかな。我々の先祖はイースター島まで行っていた。太平洋はすべて中国のものだーとか言っていないのかな?

❍裸国と黒歯国

楽しかった専門家による、研究成果もここまでです。のりくろーの古代妄想という現実世界に戻りましょう。

魏志倭人伝では珍しく、その音を漢字に当てるのではなく、その国の特徴を漢字に当てています。倭人がそのように説明したのでしょう。

ずばり、裸の国と歯が黒い国です。なぜグアムとサイパンを考えたのかというと、単にイメージです。南国はがたいの良い上半身裸の王様がいるイメージがありませんか。ハワイがまさにそのイメージですが、ハワイでは方位が違います。

そして、この両国は「ビンロウ」という、噛みタバコのような嗜好品を噛む習慣があるそうです。これを噛むとロが真っ赤になるそうです。その様子を見て歯が黒いと言ったと考えたからです。

このように、単純に考えたわけですが、距離的にはありえないと思っていたのです。しかし、そのとうの昔にその両島へはモンゴロイド集団が上陸し、遺跡まで残していたのです。全く知りませんでした。

中国の歴史書に、中国南部の沿岸地域や台湾付近の海洋民族が、どのように記述されているのかはわかりません。

彼ら海洋民族は、グアムやサイパンを知っていたのか。また、倭人はグアムやサイパンを知っていたのか。興味は尽きません。


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