「真実を知る」ということ
元夫が逮捕されて約一週間後だったように思う
弁護士から「服の上から女子高生の身体を触った、ではなく、服の中に手を入れて直接胸を触ったと言っている」と聞いた。
「え!!そうなんですか・・・・」
のような返事をしたように思う。
確か「より罪を軽くするには」という話を弁護士からは持ちかけられたのだと思う。
あまり記憶がない・・・
当初から「罪を軽くしたい」ということが一番の願いだったわけではない。
私の願いは「事実を知ること」そして「事実に応じた報いを元夫が受け、向き合い2度目はない未来を選び取ること」だった
私が減刑を望んでいないこと、そしてお金の話ばかりをする(着手金を払ってほしい、という意図のことを遠回しに何度も言われた)弁護士にだんだん腹が立ってきて、泣きながら弁護士に怒りを訴えました。
「人のことを何だと思っているんだ!!」
的なことを言ったような気がする・・・
なんで人の痛みがわからないんだろう、どうしてこんなに人の気持ちがわからない人がこんな仕事に就いているんだろう!!
烈火のごとく怒ったことを覚えている。
その姿を見て、父が弁護士の対応は自分がする、と言った。
しかし、父にも抱えきれない事実をその1か月後に知ることになる。
泣こうが喚こうが対応し抜くことが私にはできたはず
事件の中で起こった事実すべてと向き合う覚悟が出来ていたのは自分だけだった、と事件から10年たった今になってやっとわかる。
事件が起きてから1年ほど同居することになった親に
子供たちに全てを話したら
と何度も言われたが、私の答えは一貫して
NO!!
親戚である私の両親、夫婦である私は元夫との縁を書類上の手続きで切ることが出来る。
でも血のつながりは切ることが出来ない。
子供たちに
「あなたの血のつながった父親は女の子に性犯罪を働いた犯罪者です」
って伝えようと思っているのだろうか?
全く意味がわからない。
子供たちにそんな事実を、罪悪感を背負わせるリスクがあることもわからないのか!?
子供たちは私が守る!!
自分だけの力で守ることは出来ず、経済的にも生活面でも親に助けてもらえたから今がある、とても感謝している。
それはそれ、判断力の鈍い両親の悪気のない判断で子供たちの人生に不要な試練を与えてもいいものか!?
あかん!!絶対にあかん!!
自分たちが抱えきれないマイナスの感情を容赦なくぶつけてくる両親
真実を自分の中でとどめること、はとてつもなく大きな責任感が必要だった。
幸いにも強い責任感を元々持ち合わせていた私はとんでもなくしんどかったが、自分も子供たちも幸せに羽ばたくように生きていってもいい!!と思えるところまで周りの素敵な人々の支えでここまでこれた。
そして、自分のように耐え抜くことが出来る人、それが困難な人の両方が存在することをこの10年の中で知った。
だから今の自分が出来ることは、加害者本人、そしてそのご家族に寄り添うこと。
元夫はもう別の人生を歩んでいるので、自分で自分の幸せを作っていけばいいと思うし元夫の幸せをやっと願えるようになった。
お仕事でご縁がある加害者及びそのご家族に自分がこの11年ほどで学んだこと、乗り越えてきたことを財産として寄り添っていきたい。
今、現在(本当に今現在)前科がある生き辛い人から連絡が入っている。
皆それぞれにそれぞれの現実があり、その中を自分なりに必死で生きている。
逃げたい現実と必死で向き合おうとされているので、自分で「前を向いていこう」という選択肢を選び取ってもらうよう、話を聞いたり、諭したり、その人の上司と連携したり、状況を見極めて対応する。
事実と向き合い何とか出来るのは当事者である本人だけ
起きた事実は1つだけ
真実を知り、感情が動いても真実は変わらない
過去に起こった真実は変わらないけれど
未来を変えていくことは出来る、必ず。
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