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美しい世界をつくる、という使命について

もうずいぶん長い間、ニュースに目を向ければ人の世のいたましさ、生きることの過酷さを突きつけられ、暗澹たる気持ちになるばかりだ。新しい年を迎えたからといって、平穏で安全な場所からこのような能天気な言葉を発することは憚られる気がして、息を潜めて日々を過ごしていた。

それでも今日、久しぶりにレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を手に取って、改めて思う。やっぱり、「美しい世界をつくる」という自分の使命を心に刻もう、と。

このコンセプトは過去の迷いの時期に閃いたもので、「何を以て美とするか?」といった定義の詳細や「どのように実現するか?」という具体的なロードマップなど一切をすっ飛ばして、あるべき到達点だけを語ったもの。いわば結論ありきで方向を定め、そこに至る論理は後から構築するってこと。大雑把だけど、それでよいのだ!

なぜなら私の思い描く「美しい世界」は、私と私の大切な人たち、同時代の人々、出来ればその先の人々も、それぞれが自らの人生を美しいと感じながら生きていける世界であって、何に美を見出すかは人それぞれだから。「美しさ」は、抽象的なままでいい。

もちろん世界はあらかじめ美しく存在しているのだけれど、美しい何かに気づく自己があって初めて、「私の美しい世界」が調和の中に立ち上がる。

鳥たちが何を思って鳴くのかは知る由もないけれど、その声に空が清められていると感じるとき、そこに私の美しい世界がある。

いたましい人の世にあっても、毎日少しずつ出来ること。

美しい世界をつくる。
これを「使命」などと気負わずとも、ナチュラルに体現している人もいる。そんな友人たちの存在は眩しく、頼もしい。

たぶん、何かのはずみでこれを読んでいる誰かも。

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