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ひとりのやさしさが全世界にひろがる仕組み ペイフォワード記事Vol.7

ペイフォワード・恩送りによるやさしさあふれる世界。こう話すと、現実離れしているきれいごとでは?たまたまそこだけでできているだけでは?という疑問も持たれそうです。今回、ひとりから始まる「恩送り」が世界にひろがり、大変革を起こしていくだろうということについて考察してみます。

30年で思いもよらない大変化は起こりうる

たばこだらけの時代が存在していた


今日年上の方女性たちと、かつて煙草を吸うことが世の男性の常識のような時代があったという話になりました。彼女たちが会社で侵入伽員として働いていた頃は、会社にクリスタルの灰皿がでーんと置かれ、男性が煙草を吸いながら仕事をしていたので部屋はいつも煙っていたとのことでした。そして、新人女性の仕事はといえば、何を差し置いても①朝のお茶出し②灰皿の掃除③帰りの掃除をしなさい、と教えられ、そうでないと男性からも年上の女性からも相当ひどい言われようだった、という苦労を話されていました。その方たちによると、まさか30年40年で、会社の中で煙草を吸うということがなくなるなんて思いもよらなかった、というのです。

ひとつだけ確信したこと

私がこの話を聞いても、30年前にはそこらかしこで煙草が吸われていたことや、どうやってその変化が30年で起こったのだろうという筋道も、すぐには想像がつかないものでした。

でも、ひとつだけ分かったことがあります。

「まさかとおもうような、思いもよらない大変化が知らず知らずのうちになされ、30年後には現実となっている。」

この気付きは、混沌とした世界に生きているような気分になってしまうこともあるこの現状に希望を与えてくれる、一筋の光のようにも思えます。

腹と魂に響く田坂広志先生のお話から

私が最近よく拝聴し学ばせていただいている方に、多摩大学大学院 名誉教授 シンクタンク・ソフィアバンク 代表の田坂広志さんがいらっしゃいます。

田坂先生には社会起業家の発表イベントで指定討論者としてお話されていた際にお会いし、幸運にも直接講演をお聞きすることができました。先生のお話には魂が込められていて、聞き手の腹に浸透していくのが感じられました。それからというもの、YouTubeで片っ端から先生のお話を聞くようになりました。今後もこの記事に先生のお話の引用が時たま登場することになるかと思いますが、今回はこの動画から、魂に響くメッセージをいくつか紹介させていただきたいと思います。

↓ GLOBIS 知見録 田坂広志「歴史を変えるリーダーの五つの覚悟」

「リーダー」という言葉にぴんとこなくても、「歴史を変える」というキーワードに注目してこの動画をご覧になってみてはどうでしょうか。

蝶の羽ばたき ハリケーンの到来

私がこの動画でかなりびっくりしたのは、この言葉。

たった一人の人間が、世界を変えることができる。

GLOBIS 知見録 田坂広志氏「歴史を変えるリーダーの五つの覚悟」より

これまでの人生では、一人では世界を変えることができない、という言葉を幾度となく聞いてきました。しかし先生はおっしゃります。

「北京で蝶々がはばたけば、NYでハリケーンが起こる、という言葉があるように、少しのゆがみがやがて大きな影響を持って広がっていくのだ。」

これはバタフライ効果、という言葉で知られています。一人の、ちょっとした行動が、やがて大きな変革を起こすきっかけになる。これはポジティブにもネガティブにもいえることです。しかし、これを前向きに捉えることができれば、私たちの何気ない日常に活力を吹き込むエールになります。ちっぽけにも思えるかもしれない、自分という存在。しかし、日々のあるちょっとした行動によって、未来の世の中に、大きな変革を贈ることができるかもしれない。現在を生きる自分が、未来を生きる誰かと、信頼関係という繋がりで結ばれる、そんな想いすら湧いてきます。

志とは 次世代へバトンをつなぐ祈り

一方で、田坂先生は

「己一代では成し遂げない何か。これを次の世代に託する瞬間が来る」
「歴史を変える力は世代から世代へ受け継がれていく志」
「志とは、己一代では成し遂げない何かを次の世代に託する祈り」

GLOBIS 知見録 田坂広志氏「歴史を変えるリーダーの五つの覚悟」より

ともおっしゃっています。いくら地球環境問題や貧困の解決、公民権の確立、争いのない平和な世の中を、と一人が取り組んでも、その人の人生という短い時間の間には簡単になし得るようなものではないのです。しかし、そこで諦めるのではなくて、次の世代に託すためにも、今を生きる人たちが、最善をつくして行動に移すこと。これが絶対に必要だと田坂先生はおっしゃいます。

現在人類は、歴史の本編の「前」を生きている

ここで、先人の働きに目を向けてみましょう。私たちの先輩方、ご先祖様、世界の偉人、名を残していないとしても私たちに命を繋いでくださった全ての過去の人たち。よりよい世界を、もっと素晴らしい世界を、と歩みを進めてくださった方たちの魂。私たちはそういう方々の想いの先に命をいただいて、今こうやって生きています。

だとしたら、過去の方々と同じような想いで、よりより世界を創っていこう、と一人一人が想いを行動に移したらどうでしょう。一人が創りうる、バタフライ効果の最初のうねり。それに共鳴した人たちが、自分の持ち場で着実に創り上げていく大変化があるのです。

現在は、人類史の序章に過ぎない、と田坂先生はおっしゃいます。この数千年にも及ぶ人類の進化・進歩の先に、魂のみががれた人類だけが体験できる争いのない素晴らしい世界がやってくる。人類史の本編に続く扉をあける瞬間がやってくる、と。

その人類の本史の扉を開ける世代の登場につなげるために私たちが今できること、すべきことは何でしょうか。私はこれを、ペイフォワードや恩送りでどのような世界を実現するのか、ということに置き換えて考えてみたいのです。

日々の生活こそが祈り

「生きること」は「すること」

最近学ばせていただいたことに、こんなことがあります。

「生きること」とは「すること」である。

どういうことだろう、と最初は分かりませんでした。これは、頭で理解しようとするよりも、やはり「すること」によって体感し、腑に落ちる、ということが本質だと考えます。

別の場所で、「日常生活そのものが祈りである。」ということも学びました。限られた自分の人生の中で、何にどれだけ、どのように時間をかけるか。丁寧にものごとをすることは、それ自体が祈りの力が込められて実現していく。

私はペイフォワードや恩送りが、この「心を込めた、丁寧にすること」と深い関係があると捉えています。

エレベーターおばさん

昨日私は赤ちゃんを連れて電車になりました。目的地についてエレベーターに乗ろうとすると、すでにお姉さんとおばさんが乗っていました。私は赤ちゃんをベビーカーに乗せているので結構な幅を取るため、もうこれ以上は乗れないかな?というくらいの間隔で立っていました。奥の方にエレベーターに向かって歩いてくるおばさんが見えたけれど、次の回に乗るかしら、などと考えていました。

と、そのタイミングでお姉さんがエレベーターの「閉める」ボタンを押しましたが、ドアは閉まりません。お姉さんは「あれ?」という顔で周りを見回していると、おばさんが「開ける」のボタンを押していることに気が付きました。このおばさんは、遠くからこちらに向かっていたキャリーバッグを引っ張っていたおばさんのために開けてあげていたのです。

「乗れるかしら?」とキャリーバッグを引いてきたおばさんが言うので、私も奥に詰めて「乗れますよ。」と促しました。私は「最初に乗っていたおばさんはこの方のためにゆっくり待っていてあげたんだ、待ったとしても1分もかからないことだもの、心に余裕があって素晴らしいな。」と考えていました。

エレベーターが改札階に着くと、「閉める」ボタンを押していたお姉さんは足早に降りて行きました。やはり何か急いでいたのだろう、と思っていると、例のおばさんは私とキャリーバッグおばさんのために「開ける」ボタンを押してくれています。「また他の人のために気遣っているなぁ、さすがだな。」と感謝しました。

しかしまだまだ話は続きます。今度は改札階から地上階に降りるためのエレベーターに乗ろうとしました。先程のお姉さんもいます。私が乗りこもうとすると、例のおばさんが改札の方を振り返っています。「これはきっと、さっきのキャリーバッグおばさんが来ないか確かめているんだな。」と容易に想像がつきました。彼女が来ないことを確かめるとおばさんも乗り込みました。そして最後はもちろん、他の人のために「開ける」ボタンを押してくれたのでした。

想いを体現することの周りへの影響

このおばさんが、どんな想いや背景でこのような行動をとられたかは分かりません。少なくとも私には、「他の人のために、自分ができるわずかなことを、当然のように行動する。」という想いを汲み取ることができました。

「生きることはすること」「日常生活が祈り」、だとすると、このような親切な行動を積み重ねていった先には、やはり豊かな想いが湧き上がり行動をする人が自然とつらなってくる、と考えられます。

ペイフォワードや恩送り、というのは、誰かから受けた恩を意識することが自分の行動の第一歩につながるとも言えますが、このエレベーターおばさんの行動は少し違うように見えました。

つまり、誰かから優しくされたから恩送りとして「開ける」「閉める」ボタンを押してあげよう、と頭を使って「思考」したのではなく、「人に優しくする」という美徳がその人の内面にしっかりと定着しているがために、自然と優しい行動となって表面化されたのではないでしょうか。

たったひとりの内面が、行動となったとき(エレベーターおばさんの行動)に、それは祈りにも似た力となって、他の人(私)の優しさスイッチが発動するきっかけとなったのです。

ペイフォワードや恩送りは人類の精神成長のきっかけ

ペイフォワードや恩送りということを意識して「恩を受け取ること」や「恩を送ること」を定着させていると、いずれそれを意識しなくても、自然と恩を受けたり送ったりできるようになるはずです。これが私の見据える30年後の大変革です。

最初はペイフォワードや恩送りという言葉を世界にもっと広めていく、それが行動となって他の人に想いを乗せて伝わっていく、いつかはペイフォワードや恩送りという言葉を意識しなくても自然に互いを思いやり自分はそのコミュニティの一員なんだという自尊心も育っていく。こんな風に、一人ひとりの行動がバタフライ効果となって、人類の心のあり方や社会のあり方も変えていく、と私は確信しています。



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