コルベ神父のはなし

ここ数か月、noteだけでなくtwitterにもずいぶんご無沙汰していた。
とはいえ、フォローしているひとたちのtweetはほぼ毎日、メール通知される。くどうみやこさんとか辻仁成さんのtweetはたまに拾い読み。

今日もメール通知がきた。
スキマ時間に拾い読みしていたら、こんなtweetが目に留まった。

ドラマで殺されそうなときに役者さんが「私には家族がいるの、子供達が待ってるの!」と叫ぶのを見る度に、「代わりに子供がいない人が殺される対象になるだろうか」と考えてしまうひねくれ者…

TV離れが著しく進んでいる。
ドラマもほとんど見ないわたしだが、
「そんなセリフをいまどきのTV脚本家は書くんだろうか」
「家族いるいない、相手はおかまいなしでしょ」
「そういうセリフが通用しないから事件が起こるわけで~」
「ひねくれ者とは思わんけど」
「たかがTVドラマ、そこまで深読みするひとっているんだ」
自分なりの感想が浮かんできた、いろいろとね。
ところが・・・

「殺されそうな・・・わたしには家族がいる、子どもたちが・・・」
このセリフ、ドラマの中じゃないけど聞き覚えがあった。

遠藤周作のエッセイ『自分づくり』におさめられている、「あなたは自分を捨てて生きられるか」。コルベ神父のことがふっと浮かんだ。

コルベ神父はあのアウシュビッツ収容所で、飢餓室入りに指名されたひとの身代わりになって殺された。
もともと指名されたひとは、家族の名前を呼び、別れるのがつらいと泣き叫んだそう。するとコルベ神父はこう言ったという。

「このひとの替わりに飢餓室に入りますから、助けてあげてください。わたしは神父だから、妻も子どももいません」

ドラマではなく実話である。

コルベ神父のような生き方もあるんだから、
「ひねくれ者・・・」とか思い込むのはいかがなものかなんて
言うつもりはない。
ただそういう人生もあるということを
頭の片隅に置くのも悪くはあるまいと
tweetを見た後につらつら~と思ったわけである。

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