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芸人とかジャーナリズムとか(1)

ウーマンラッシュアワーの村本が高浜原子力発電所1号機の再稼働に際して
Xに綴った発言が波紋を広げているという。

《事故があった時、地元の人だけじゃなく日本中が被爆しますように》

もちろん、再稼働について 福井だけじゃなく日本全体の事としてちゃんと考えて という意味があっての発言だ。
これを額面通りに受け取った人たちもいて、それで批判が殺到したらしい。

ウーマン村本のことを知っている人なら、発言の真意はわかるだろう。
けれど、ネットでは、彼のことも彼の芸風も全く知らずにこの発言を目にする人たちもいるわけで、その人たちを「言葉の裏を読めない」とバッサリ切り捨てていいかどうかは難しいところ。

真意を分かった上で、それでもこの発言は不適切とする意見もある。
「過激」「言葉足らず」「言葉選びを間違えた」云々。
でも、そもそも芸人に「言葉を選べ」をいうのは、どうなんだろう?

すべての人にわかってもらおうと思ったら、丁寧なわかりやすい説明が必要になって、ある意味、言葉はどんどんつまらなくなる。
それでは、芸でも技でもなくなっちゃうんじゃないだろうか。
受け手が「言葉の裏を読む」「行間を読む」ことで成り立つ芸もある。

これはまた芸とは別の話だけど、今回村本が最初から「再稼働するなら福井だけの問題としてじゃなく、日本全体の問題として、みんなちゃんと考えて」とコメントしたら、これだけの反応があっただろうか。
スポーツ新聞はこれを取り上げただろうか。

村本の発言がこうしてニュースになったことで、私はスルーしていた再稼働のニュースにふれて、あれこれ考えてる。
震災のときは、それなりに原発のことを心配したのに、もう忘れてるじゃんとか。
さらにいえば、私も無意識に「ここは被爆しないから大丈夫」と思っているんじゃないかとか。

ほんとはこれは、ジャーナリズムの役目だと思う。
大事なことを目につく形で取り上げて、「ちゃんと考えて!」と即す。

今回のこと、大手の新聞で取り上げたところはあったのかな。
多少あざとくても、村本に乗っかって記事にすれば、私みたいな人がもう少し増えたんじゃないかな。












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