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自助具という「環境設定」

言語聴覚士や保育士として日々子ども達に関わっている小野寺です。

先日、児童発達支援事業所でモヤモヤする出来事があったので、そのことを考察してみたいと思います。

ある事業所での出来事。
まだスプーンを上手く操作できない年長児のお子さんに対してセラピストが自助具を提供しました。
*自助具とは「自らを助ける道具」という文字通り、 日常生活で必要な作業 
 を自分で行えるようサポートする福祉用具のことです。
つまり、市販のスプーンでは上手く操作することが難しいため、持ちやすく工夫されたスプーンを提供したのです。

このことに関して、スタッフ内で賛否両論の声が挙がりました。
私は自助具の使用には賛成派なので、賛否があったという事実にびっくりしました。

スタッフの発言の一部に
『子どもは日々の積み重ねで少しずつ成長していく。そこに障がいの有無は関係ない。児童発達支援事業所は「療育」をするところではなく「保育を基盤として子育て支援」を行うところ。療育的なことは訓練の場で行ってほしい』
というものがありました。

さて、自助具の使用は「子育て支援」にはならないのでしょうか。

子どもが何か能力を獲得していくには、つまり、何かができるようになる時、一番始めに必要なものは「興味」です。
環境が整っていないと興味を引き出すことができず、結果的に「できた」という成功経験も積み重ねにくいと思います。
歴史の年号を機械的に暗記していくよりも、歴史漫画を読む方が歴史自体に「興味」が持てます。
同様に、スプーンを上手に持てるようにひたすら練習を繰り返すより、スプーン側が使用者に寄り添ってくれて、なんか簡単に持てた!という経験を体験した方がスプーン使用に「興味」が持て、結果的に正しく持てる回数が増える気がするのです。

今回の出来事で「環境設定」に対する捉え方が人によって様々であることを痛感しました。
この辺りを今後も深掘りしていきたいと思っています。

最後まで読んで頂きありがとうございました。


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