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あっと言う間。

現在、個人の建築事務所を初めて2月でまる2年になります。働くって何?って聞かれると、最近は、「働かなくて良いなら、好きな事させて。」って答えそうです。2年前の53歳の時に、会社員を辞めて独立しました。いくつかの会社勤務を経験してサラリーマン生活30年でしたが、3人目の子供が独立(卒業し就職)する時期が見えたときに、貯蓄は無くなるけど、もう我慢する理由が無いと思ってしましました。我慢ってどんな事って思われるかもしれませんが実際はやりたいことをやりたいと漠然と思ったのかもしれません。やれないことへの不満やストレスでしょうか。50過ぎて何となく勤務し給料は貰えるからと定年を待つ、または延長65歳まで働き、年金生活か?などと考えても空しくなってきたのです。いつ死ぬか分らんし~と思うようになりました。

学校を出て、平成元年から大手住宅会社に勤めました。さすがに大手は優秀な人材が居ます。某S会社の現場監督からスタートし新人の時は仕事を覚えることに必死ですし、お客様相手の仕事なので責任を感じます。同期の人との差も感じるしで日々一生懸命でした。この頃は、生活のため、将来のため、自分の成長や不安解消のために働いたのでしょう。

結婚して、日建学校に行って、運よく一級建築士になれました。同期連中が次から次に合格していったので不安になり、1年間必死に勉強できました。そんな優秀な人のいる環境の中に居れたおかげだと思います。地元に帰郷しなければならなかったので、5年務めたSホームを辞めて、大手M会社の現場監督になれました。景気が良かったので、死ぬような勤務が半年ぐらい続きました。生まれたばかりの長男と妻との会話も、する時間がありませんでした。消費税が3パーセントに上がった瞬間、景気も落ち始め、M会社に勤めて初めて夕日が沈む前に帰る時間が増えました。すぐ、課長になりました。中間管理職の業務は大変ですよね。14年ほど勤めあげ営業所が閉鎖になると同時に退職しました。その間、設計・工事の業務をすべて覚えたのは財産になりました。子供が2人増え、3人になり、生活のため、教育のために、日々我慢しても尚働いてたと思います。働くのって何のためって、生活のためでしょ!って夢も希望もありませんでした。

40過ぎて転職し、体を壊し無職になり、休養し、再就職したのが田舎の住宅会社でした。もう管理職にもならずに平社員でリフォームの一般の現場監督を望んでいましたが、2年後に新築部門の工事部長になりました。偏見かもしれませんが地方の住宅会社で危険なのは、社長がワンマンなことです。ワンマン経営は優秀な人材よりイエスマンの古株人材を大切にします。都合の良い部長の役をいただきました。次男が就職し、長男に子供ができました。孫ができておじいちゃんになりました。3男があと半年で就職って時期に、突発的に退職しました。結局、生活のためが一番働く理由としては濃かった理由でしょう。収入が無いや、ボーナスが無いや、支払えない不安を経験したこともあったので不安もありましたが、その理由だけの仕事や時間の使い方に限界を感じました。

53歳になって独立。収入の当てもないところから始めました。住宅建築は知識をもって初めてお客様の満足に近い家を作り提供していけます。実務においてはお客様の喜ぶ顔が、私の働く意味でもありました。建築業務は設計事務所兼施工店をやっています。働くは人のためにあると思います。どんな仕事でも差異(地位や名誉などない)は無いと思っています。

希望に満ちて、家族をもって、夢を語って、実行もせず、夢も見つからなくなった30年間。結局、行きついた先は好きな事(絵や造形)をしたいでした。今は好きな事を仕事にできるよう夢見てます。

死ぬまでは自立した仕事がしたい。お金や地位に執着した考えは無くし、心を穏やかに、欲を減らすことで、満足を増やし、家族と要れる時間を増やせるようにしていきたい。働くって、「好きな事や、好きな人のためにやれる。」と思います。

正月休みで遠方で働く長男家族が帰郷しました。長男と孫と3人で近くの公園に行きました。最初の写真は、その時撮った2人の後ろ姿です。その姿を見て働いてきた意味があると思いました。

働く期間ってあっと言う間です。私、55歳のジーちゃんです。が、あと30年は働きたい。これからどんな些細な幸福を感じて行けるやら?それを期待して働きます。 

#はたらくってなんだろう

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