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[理解の反転 2]角田さん

ずっと気になっていた出来事や頭の中に鮮やかに残る記憶があって、ある日突然、それまで思い込んでいた自分のその出来事への理解が実は180度違うものだったことに気づく。そんなことが僕には最近起こる。それが自分には衝撃的で、忘れる前に殴り書きのように書くようになった。

角田さん 2023年に書く

僕が学生時代に初めてアルバイトをした喫茶店が、東京の根津にある。この話は、何十年ぶりかで再訪したこの店のなかでコーヒーを飲みながら、携帯で書いている。店内を見回すと、椅子とテーブルは間違いなく当時と同じデザイン。今はサイフォンでコーヒーを入れているようだが、あれ、昔もサイフォンだっただろうか?

カウンターの奥のキッチンを眺めながら当時を思い出そうとして、確かペーパードリップでコーヒーを入れていた角田(かくた)さんの顔を思い出す。角田さんは、喫茶店の店員の1人で、いつもカウンターの奥でコーヒーを担当していた方だ。

今、僕はどうやらあの頃の角田さんの年齢になった。
ああ、彼は演歌歌手の夢を叶えただろうか?

30年前。角田さんは昼はうちで働いて、夜は演歌歌手を目指してレッスンに通っているんだよ、と若い店長が僕に教えてくれた。角田さんは白髪混じりで、中年真っ只中の様子だが、注文をとりに店内を歩いて行く身のこなしは流麗だった。演歌歌手ってどんな歌なのか?どこで歌っているのか?店が暇な時に二人だけになると、僕は角田さんに聞いてみたけれど、彼はカウンターの後ろでコーヒーを淹れながら微笑するばかりで教えてくれなかった。それでいて夕方になると、今日はレッスンがあるから、と言って帰ってしまう。

当時、芸術大学に入ったばかりでエリート意識で一杯だった僕には、中年になって仕事しながら芸を目指すなんて、どうしても負け組の発想に思えて仕方なかった。僕の凝り固まった頭のなかでは、彼は負け組で、自分は彼らとは違う人間、やがて勝つ側にいるのだと傲慢にも思っていた。

でも彼の優しくかつ厳しい人柄は店長や他の社員たちのそれとは違い、僕は大人としての彼を尊敬していた。そんな中で僕はやがて、この喫茶店のアルバイトを辞めてしまった。角田さんのことも、なにかの折にこのバイトのことを思い出すときに、記憶の隅にでてくるくらい、忘れていたのだ。

この店で働いていた頃、僕は芸術大学に入ったばかりで、僕らの周りには、既に社会的に成功しつつあるプロの建築家の教授たちがいて、生き残るためには自分の世界を追求しろと僕らを日々指導していた。そんな先生たちに心酔していた僕にとって、角田さんは若いうちにプロになれなかったのにあきらめが悪い、負け組の中年男性として見えていた。

それからとても長い時間かかって、30年経って、もういちどこの喫茶店で角田さんを思い出した。そして突然僕は何かに気づいた。彼は決して、そして一度だって負けていないのだ。

だって、彼を負け組と言うのなら、一体今の僕はなんだというのだ?

僕は大学卒業後、あんなに心酔していた建築家への道を外れて、アートの作家活動を続けた挙句に生活する方法がわからなくなり、気がついたらほとんど何も作らない人間になっていた。とうとう5、6年前に、僕は仕事をしながら、家族が寝静まった夜中に1人で作品を作り始めた。パブリックアートという、少しだけ建築に近い世界だ。

きちんと仕事をこなそうとしながら、でも夢をあきらめずに行動する中年。どこかで聞いたような話じゃないか。まるであの角田さんだ!かつて僕が心のなかで負け組の印を押し続けていた角田さん。30年経って今日、僕の心のなかで、彼はマイク片手に、ステージの上でスポットライトを浴びて僕に笑いかけている。

角田さん、あなたは決して負け組ではなかった。むしろ、僕自身や、夢を諦めない人達の象徴のような生き様で、ひたすら前に向かって突き進んでいたのだ。どうしてこんな単純なことに気付くのに30年かかったのだろう?自分って、人間って本当に愚かだ。

僕の想像の中で、夜の角田さんは喫茶店の制服を脱ぎ捨てて、流麗に着物を着こなしながら街のネオンをバックに演歌を歌っている。何を歌い上げているのか遠すぎて聞こえないけれど、とても楽しそうに、時に厳しい男の横顔を見せながら、歌っている。

角田さんありがとう。あなたが歌い続けたように、僕も作り続けるよ。


この話も、ラジオに投稿した。喫茶店で携帯で書いて、その日のうちに投稿したのを覚えている。
そうして、放送されてからだいぶん経ってからpodcastで配信されていることに気づいた。

放送を聞き返すと、適宜端折って、適宜ワードも変えているが、どちらも数箇所だし、その基準がしっかりあることが見て取れるのでさすがプロと思った。でも全体的に原文に忠実。検索してみたら、Xやブログで感想を書いてくれた方がいた。でも、角田さんが演歌歌手になったのかどうかは、今でもわからない。歌い続けていてくれれば、それで僕には充分だ。

JWave aufg lifetime bluesでオダギリジョーさんがこの話を読んでくれた。



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