離婚することにしました。6

子供が小学校に上がるタイミングまでになんとか上っ面だけでも体裁を整えよう、せめて仮面夫婦にはなろうともがいたのは遠い記憶。
体裁だけでもと思う一方、私をもがかせる配偶者にずっと激怒し続けていた。
依存心の非常に強い私が誰にも頼らずに歯を食いしばって自分の足で毎日立っているのだ。
その努力を認めてもらいたかったし、私だけが家庭内別居の加害者ではないのだからお前も何らかの努力をしろよと。
配偶者との仲直りへの努力と、配偶者の歩み寄ろうとしない頑なさへの怒りという、真逆のベクトルが常に私の中にあった。
精神は削られ心は折れ、ストレスで大人喘息にもなった。

家庭内別居の始まった最初の3年間はこんな感じだった。
3年を過ぎたあたりから、もがくのも激怒しつづけるのもやめた。
なんだかめんどくさくなってしまったのだ。

そして、配偶者に感謝すべきことも見えた。
配偶者と結婚したから住居を東京に移すことが出来た。
子供に出会えたのは配偶者のおかげだ。
配偶者とゴタゴタしたからこそ、再度自分の足でしっかり立たなければと考え、働きながら大学院に行って学びなおすことが出来た。
配偶者が子供の面倒を見てくれるから、私は勉強する時間を確保できた。
配偶者にやってほしいことはメールで依頼すれば引き受けてくれた。
配偶者は私が大学院に通って卒業したことも知らない。
こうやって書いていくと、便利屋扱いだと気付く。

離婚するだいぶ前に、夢を見た。
配偶者と何のわだかまりもなく、普通に話す夢だった。
夢の私は和室の押入れの前で、配偶者から押入れの今後の使い方について説明を受けていた。
こんなにスムーズに配偶者と話せる訳はないから、これは夢だとすぐに気付いた。
夢に気付いた私は夢の中でダッシュし、他の部屋の様子を見に行った。
配偶者はリビングの床全てを黒に近い茶色のワックスで塗り直し、キッチンカウンターをリフォームして低いベンチぐらいの高さにしていた。
それらについても説明を受けた。
ここで目が覚めた。
夢ではあるが、配偶者と普通に会話をすることが出来ていたし、普通に会話していたことを冷静に受け止めていた。
前だったら夢と現実とのギャップに落ち込んだり怒り狂ったりしていそうだけど、
冷静に夢だと受け止めている自分を冷静に受け止めた朝だった。

家庭内別居に至った経緯の原因は、私にあると分かっている。
配偶者が与えてくれたものを当たり前のように受け取り、全く感謝もせずにただただのさばり続けた結果だ。
元通りにはいかなくとも改善出来ることはないか、私自身が何とか変わることが出来ないかと、カウンセリングも受けたりやれることはすべてやった。
それでも離婚するまで家庭内別居は解消されなかった。
家庭内別居後半に至っては、私が自由に行動しても何も言われないのは都合が良いと思っていた。
そう思いながらも、もう一人の私がずっと囁いてきた。
こんな状況なのにどうして離婚しないの?
自分の都合のいいように人を利用して、どうして罪悪感を感じないの?と。


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