見出し画像

5.死と見送り

父の葬儀にあたり、「家族葬スタイル」で仏式(真言宗豊山派)で弔うこととなり、腰越の満福寺の住職?副住職?に来てもらうこととなった。(この寺、通った高校の近くで、確かに名前は見聞きした覚えがあった)

会社関係の人には、父がまさに今、昼カラオケでもお世話になっているというAさんにのみ連絡することとしていた。
父の携帯からSMSで連絡。長男です。父の件でお伝えしたいことがあります、と。
折り返し電話が来て、伝えた。
年末には忘年会をしたばかりなのに、と驚いておられた。

通夜には会社関係の方が溢れた。
驚いた。
受付を手伝ってくださる方も。
席が足りなくなり、足した。
明らかに食事も足りなく、葬儀社の方が寿司を追加発注してくれた。

通夜の読経が終わり、食事の案内をした。
なんと、全員が残ってくれた!
しかも感謝なことに、室内に用意できる座席数ちょうどの人数だったのだ。まさに天の計らい。

一人一人に酌をして回る。ほぼ全員から言われたのは、二つのことだ。
①お父さんにそっくりだね!
②お父さんにはお世話になった「お酒の席で!」

①は、生前の父の写真を振り返って飾っておいたのだが、本当によく似ている。自分でもビックリだ。高校の時、友人Jがうちに来た日の日記にこう綴っていたのを思い出した。

 「オヤジのオヤジはオヤジ似だ」

無論、オヤジとは私のニックネームのことだ。(Jは19歳でバイク事故で先に召天していた、その後、日記を見せてもらっていたのだ)

②は、そう、仕事のことというよりは、飲んでいる(呑んでいる)時のことばかりだ。昭和のゼネコン、呑むのが仕事の一部、いや大半だったのだろう。

さて、私が死んだときは、いかほどの方がその死を悼み、いかほどの方が足を運んでくださるか。これは私が望んでどうにかなることではないだろうし、そもそも望むことではないだろう。でも少しでも多くの方に悲しんでもらいたいという不思議な願望がある。今を着実に歩み、遣わされた場で、ご縁をいただいた方とよろしくやっていくことを誠実に重ねていきたい。

とはいえ歳と重ねるにつけ、関係は薄れ、減っていくものだ。たとえ地上の別れと見送りは少人数でさみしくとも、天の御国で会えることを楽しみにしながら、今、主から与えられている命を一日一日大切に紡いで歩んでいきたい。

------------------------
今振り返れていることから得た教訓を忘れぬように書いておこうと思う。
◇人はいつ死ぬかわからない。その日はある日突然やってくる。
・自分が死ぬ前提で、死後にどのようにしてもらいたいのか、
 明らかにしておくことが大切。
・今際の際:日頃から家族と、希望する治療方針を話し合っておくことが大切。延命してもらうのか、否か。
・葬儀:誰にどのくらいまで告知してほしいのか、どんなスタイル希望か等。
・財産:私の場合まだ子供がいないのですべて妻の物になるからここは心配ないか。

◇自宅で死ぬと事件を疑われ、警察が来る、残された人に迷惑をかける。

◇大切な人とは、会える時にしっかりとあっておくこと。
・特に、救い主Jesusの福音を伝えること。
・もし会っておかないと「またね」と「いつか」は二度とこない。(天の御国でさえ会えなくなってしまう)

◇大切な人のことを想い、祈ること。
 離れていても、気にかけけ、想像し、祈ること。

------------------------
また思い出しながら教訓を書き連ねていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?