詩のセッションと、鬼の子の詩
奇才、高橋芳文さんに、1on1の詩のセッションを受けました。
お題をもらって、二週間たらずで八編。
毎日サイコロを振ってログライン書いて、お題をもらって詩を書いて。
脳内アンテナがドクダミの群生のように伸びまくっています。
基本は自由に書いてよくて、最初にこんなサジェッションがありました。
というような塩梅。
「言葉の心臓」っていいな。
心臓を持った言葉が自由に手足を伸ばして歩き回る前に、あわてて服を着て隠そうするようなところが自分にもある。
そういう自分も含めてそのまま書いて、セッションを楽しみにしてました。
2回目のセッションでは、実際にわたしが書いた詩を見て、「ここが心臓だね」とか、「思う」だけじゃなくて、「する」を詩にくっつけてみると、心が広がった感覚になるよ、というふうに手を入れていきます。
説明的な言葉を省いたり、句読点を取るだけでも、ガラリと変わる。
この詩、最初に書いたときは、
人の涙の ほのかな熱に
鬼の子は 触れたいと思った
で終わってたもの。
「〈思う〉から〈する〉に変えるとどうなる?」と言われて、
鬼の子も泣いてみたいのかなーと、
鬼の子も 泣きたかった
と書いてみたけど、なんか違う。
そこで、涙に触れた、体に触れた、
抱きしめた、
抱きしめたら、同じだけ力が返ってきた
そいうふうに変えていったら、そこでやっと、鬼の子と人との、確かなコミュニケーションが生まれました。
この詩には、前提があって、「地獄の風景」というタイトルで、鬼が雲の下の人間界を我が子に見せて、人の体、人の苦痛、人の地獄を教えるっていう内容で別の詩があります。
そのアンサーとしての、鬼の子の詩。
雲の上から見下ろしているだけの心に、
心臓と手足が生え、
思いを伝え、触れて、地上まで降りていく。
自分の心的態度にも、変化があるかな。
詩のセッション、おもしろかった。
高橋ヨッシー、ありがとうございました!
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